花筐館<秋桜の間>

   
  オーストリア皇帝家 Austria
  もともとは神聖ローマ皇帝家だったが、三帝会戦で惨敗し、神聖ローマ皇帝位を辞退。オーストリアとハンガリーの二重帝国を形成した。
1914年に帝位継承者フランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺されたことからセルビアへ宣戦布告、第一次世界大戦の引き金となり、敗戦と同時に帝政は廃止された。
  系譜詳細
   
 
フランツ1世 (1768-1835)(在位:1804-1835) ※元神聖ローマ皇帝フランツ2世
妃 エリーザベト (ヴュルテンベルク公爵女)(1767-1790)
※即位前に没
第一皇女 ルドヴィカ・エリーザベト (1790-1791) 夭折
皇后 マリア・テレージア (両シチリア王女)(1772-1807) 第二皇女 マリア・ルドヴィカ (1791-1847) フランス皇后
のちナイペルク伯爵夫人
第一皇子 フェルディナント (1793-1875) オーストリア皇帝(フェルディナント1世)
第三皇女 カロリーネ・レオポルディーネ (1794-1795) 夭折
第四皇女 カロリーネ・ルイーゼ (1795-1799) 夭折
第五皇女 マリア・レオポルディーネ (1797-1826) ポルトガル王妃兼ブラジル皇后
第六皇女 マリア・クレメンティーネ (1798-1881) サレルノ公妃
第二皇子 ヨーゼフ・フランツ (1799-1807) 夭折
第七皇女 カロリーネ・フェルディナンデ (1801-1832) ザクセン王太子妃
第三皇子 フランツ・カール (1802-1878) フランツ・ヨーゼフ1世父、カール1世曽祖父
第八皇女 マリア・アナ (1804-1858)
第四皇子 ヨーハン・ネポムク (1805-1809) 夭折
第九皇女 アマーリア・テレージア (1807) 夭折
皇后 マリア・ルドヴィカ (オーストリア=エステ大公女)(1787-1816)
皇后 カロリーネ・アウグステ (バイエルン王女)(1792-1873)
フェルディナント1世 (1793-1875)(在位:1835-1848)
皇后 マリア・アナ (サルデーニャ王女)(1803-1884)
フランツ・ヨーゼフ1世 (1830-1916)(在位:1848-1916)
皇后 エリーザベト (バイエルン公爵女)(1837-1898) 第一皇女 ゾフィー (1855-1857) 夭折
第二皇女 ギーゼラ (1856-1932) バイエルン王子妃
第一皇子 ルードルフ (1858-1889) 皇太子
第三皇女 マリー・ヴァレリー (1868-1924) オーストリア大公妃
愛人 アナ・ナホフスキー (1859-1931) 庶子 ヘレーネ (1885-1976)
カール1世 (1887-1922)(在位:1916-1918)
皇后 ツィタ (パルマ公女)(1892-1989) 第一皇子 オットー (1912-2011) 皇太子
第一皇女 アーデルハイト (1914-1971)
第二皇子 ロベルト (1915-1996) オーストリア=エステ大公
第三皇子 フィーリクス (1916-2011)
第四皇子 カール・ルートヴィッヒ (1918-2007)
第五皇子 ルードルフ (1919-2010)
第二皇女 シャルロッテ (1921-1989)
第三皇女 エリーザベト (1922-1993) リヒテンシュタイン侯子夫人
 
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