花筐館<秋桜の間>

   
  ブルガリア王家 Bulgarija
  ブルガリア公だったサクス=コバーク=ゴータ家のフェルディナントがオスマン=トルコ帝国崩壊を機に国王として即位。
第二次世界大戦後、他の東欧諸国同様王政廃止となったが、最後の国王シメオン2世はその後50年を経て帰国、政治多難のおりに国民の支持を受けてブルガリアの首相となった。
  系譜詳細
   
 
フェルディナント1世 (1861-1948)(在位:1908-1918)
妃 マリヤ・ルイーザ (パルマ公女)(1870-1899)
※即位前に没
第一王子 ボリス (1894-1943) ブルガリア国王(ボリス3世)
第二王子 キリル (1895-1945) プレスラフ公
第一王女 エヴドキヤ (1898-1985)
第二王女 ナデジダ (1899-1958) ヴュルテンベルク公爵夫人
妃 エレオノーラ (ロイス=ケストリッツ侯女)(1860-1917)
ボリス3世 (1894-1943)(在位:1918-1943)
妃 ヨアンナ (イタリア王女)(1907-2000) 第一王女 マリヤ・ルイーザ (1933-) コハーリ女公
第一王子 シメオン (1937-) ブルガリア国王(シメオン2世)
シメオン2世 (1937-)(在位:1943-1946)
夫人 マルガリータ (1935-)
※退位後の結婚
長男 カルダム (1962-2015)
次男 キリル (1964-)
三男 クブラト (1965-)
四男 コンスタンティン (1967-)
長女 カリナ (1972-)
 
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