花筐館<秋桜の間>

   
  ギリシャ王家 Greece
  オスマン=トルコ帝国崩壊後、ロシアなどの後押しを受けてデンマークから国王ゲオルギオス1世を迎えたが、彼はテッサロニキで暗殺された。
次代のコンスタンティノス1世はドイツで教育を受け、ドイツ皇女を妻にむかえていたため、第一次世界大戦においては民衆・政府と相いれず、わずか4年の在位で次男アレクサンドロスに譲位。
アレクサンドロスが在位3年で早世したため復位したが、ギリシャ=トルコ戦争の敗戦後にクーデターが起こり、ふたたび王座を追われる。
そのあとを継いで王位についたゲオルギオス2世も政府から亡命を強いられ、ギリシャは一時的に共和制となるも1935年に王政復古。
しかしコンスタンティノス2世の代に国王と首相の対立から政局が不安定になり、軍事クーデターが勃発、王家は亡命しギリシャの王政は廃止された。
  系譜詳細
   
 
ゲオルギオス1世 (1845-1913)(在位:1863-1913)
妃 オルガ (ロシア大公女)(1851-1926) 第一王子 コンスタンティノス (1868-1923) ギリシャ国王(コンスタンティノス1世)
第二王子 ゲオルギオス (1869-1957)
第一王女 アレクサンドラ (1870-1891) ロシア大公妃
第三王子 ニコラオス (1872-1938)
第二王女 マリア (1876-1940) ロシア大公妃
第三王女 オルガ (1880) 夭折
第四王子 アンドレアス (1882-1944)
第五王子 クリストフォロス (1888-1940)
コンスタンティノス1世 (1868-1923)(在位:1913-1917)
妃 ソフィア (ドイツ皇女)(1870-1932) 第一王子 ゲオルギオス (1890-1947) ギリシャ国王(ゲオルギオス2世)
第二王子 アレクサンドロス (1893-1920) ギリシャ国王
第一王女 エレニ (1896-1982) ルーマニア王太子妃(離婚)
第三王子 パブロス (1901-1964) ギリシャ国王
第二王女 イリニ (1904-1974) アオスタ公爵夫人
第三王女 エカテリニ (1913-2007)
アレクサンドロス (1893-1920)(在位:1917-1920)
妃 アスパシア (1896-1972)
※貴賤結婚のため王妃と称されず
第一王女 アレクサンドラ (1921-1993) ユーゴスラヴィア王妃
コンスタンティノス1世(復位) (在位:1920-1922)
ゲオルギオス2世 (1890-1947)(在位:1922-1924)
妃 エリサーヴェト (ルーマニア王女)(1894-1956)
※離婚
流産 (1921)
共和制 (1924-1935)
ゲオルギオス2世(復位) (在位:1935-1947)
パブロス (1901-1964)(在位:1947-1964)
妃 フレデリキ (ブラウンシュヴァイク公女)(1917-1981) 第一王女 ソフィア (1938-) スペイン王妃
第一王子 コンスタンティノス (1940-) ギリシャ国王(コンスタンティノス2世)
第二王女 イリニ (1942-)
コンスタンティノス2世 (1940-2023)(在位:1964-1973)
妃 アナ・マリア (デンマーク王女)(1946-) 第一王女 アレクシア (1965-)
第一王子 パブロス (1967-)
第二王子 ニコラオス (1969-)
第二王女 セオドーラ (1983-)
第三王子 フィリポス (1986-)
 
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