花筐館<秋桜の間>

   
  プロイセン王家(ドイツ皇帝家) Pruisen
  前身はブランデンブルク選帝侯家。ヴィルヘルム1世(白髪王)のときに諸侯に推戴され兼ドイツ皇帝となる。
ヴィルヘルム2世のときに第一次世界大戦が勃発、敗戦。
その後起こったドイツ革命によってヴィルヘルム2世がオランダへ亡命、ホーエンツォレルン家による支配は終焉をむかえた。
  系譜詳細
   
 
フリードリッヒ1世 (1657-1713)(在位:1701-1713)
妃 エリーザベト・ヘンリエッテ (ヘッセン=カッセル方伯女)(1661-1683)
※即位前に没
第一王女 ルイーゼ (1680-1705) ヘッセン=カッセル方伯世嗣夫人
妃 ゾフィー・シャルロッテ (ハノーファー選帝侯女)(1668-1705) 第一王子 フリードリッヒ・アウグスト (1685-1686) 夭折
第二王子 フリードリッヒ・ヴィルヘルム (1688-1740) プロイセン国王(フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世)
妃 ゾフィー・ルイーゼ (メクレンブルク=シュヴェリーン公爵女)(1685-1735)
愛人 カタリーナ (1674-1734)
フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世 (1688-1740)(在位:1713-1740)
妃 ゾフィー・ドロテア (ハノーファー選帝侯女)(1687-1757) 第一王子 フリードリッヒ・ルートヴィッヒ (1707-1708) 夭折
第一王女 ヴィルヘルミーネ (1709-1758) バイロイト辺境伯夫人
第二王子 フリードリッヒ・ヴィルヘルム (1710-1711) 夭折
第三王子 フリードリッヒ (1712-1786) プロイセン国王(フリードリッヒ2世)
第二王女 シャルロッテ・アルベルティーネ (1713-1714) 夭折
第三王女 フリーデリケ・ルイーゼ (1714-1784) アンスバッハ辺境伯夫人
第四王女 フィリピーネ・シャルロッテ (1716-1801) ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯夫人
第四王子 カール (1717-1719) 夭折
第五王女 ゾフィー・ドロテア・マリー (1719-1765) シュヴェット辺境伯夫人
第六王女 ルイーゼ・ウルリケ (1720-1782) スウェーデン王妃
第五王子 アウグスト・ヴィルヘルム (1722-1758) フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世父
第七王女 アマーリエ (1723-1787) クウェドリンブルク修道院長
第六王子 ハインリッヒ (1726-1802)
第七王子 フェルディナント (1730-1813)
フリードリッヒ2世 (1712-1786)(在位:1740-1786)
妃 エリーザベト・クリスティーネ (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯女)(1715-1797)
フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世 (1744-1797)(在位:1786-1797)
妃 エリーザベト (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯女)(1746-1840)
※即位前に離婚
第一王女 フリーデリケ (1767-1820) ヨーク公爵夫人
妃 フリーデリケ (ヘッセン=ダルムシュタット方伯女)(1751-1805) 第一王子 フリードリッヒ・ヴィルヘルム (1770-1840) プロイセン国王(フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世)
第二王女 ヴィルヘルミーネ (1772-1773) 夭折
第二王子 ルイス (1773-1796)
第三王女 ヴィルヘルミーネ (1774-1837) オランダ王妃
第四王女 アウグステ (1780-1841) ヘッセン選帝侯妃
第三王子 ハインリッヒ (1781-1846)
第四王子 ヴィルヘルム (1783-1851)
愛人 ヴィルヘルミーネ (1752-1820) 庶子 ウルリカ・ゾフィー・ヴィルヘルミーネ (1774) 夭折
庶子 クリスティーナ・ゾフィア・フリデリカ (1777) 夭折
庶子 アレクサンダー (1779-1787) マルク伯爵、夭折
庶子 マリアネ (1780-1814) マルク女伯爵
愛人 ユリエ (1766-1789) 庶子 グスタフ・アドルフ・ヴィルヘルム (1789-1855) インゲンハイム伯爵
愛人 ゾフィー (1768-1834) 庶子 フリードリッヒ・ヴィルヘルム (1792-1850) ブランデンブルク伯爵
庶子 ユリエ (1793-1848) アンハルト=ケーテン公爵夫人
フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世 (1770-1840)(在位:1797-1840)
妃 ルイーゼ (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女)(1776-1810) 女児死産 (1794)
第一王子 フリードリッヒ・ヴィルヘルム (1795-1861) プロイセン国王(フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世)
第二王子 ヴィルヘルム (1797-1888) プロイセン国王(ヴィルヘルム1世)
のちドイツ皇帝(ヴィルヘルム1世)
第一王女 シャルロッテ (1798-1860) ロシア皇后
第二王女 フリーデリケ (1799-1800) 夭折
第三王子 カール (1801-1883)
第三王女 アレクサンドリーネ (1803-1892) メクレンブルク=シュヴェリーン大公妃
第四王子 フェルディナント (1804-1806) 夭折
第四王女 ルイーゼ (1806-1870) オランダ王子妃
第五王子 アルブレヒト (1809-1872)
夫人 アウグステ (ハラッハ伯爵女)(1800-1873)
※貴賤結婚のため王妃と称されず
フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世 (1795-1861)(在位:1840-1861)
妃 エリーザベト・ルドヴィカ (バイエルン王女)(1801-1873)
ヴィルヘルム1世 (1797-1888)(在位:1861-1888)
皇后 アウグスタ (ザクセン=ヴァイマール=アイゼナハ大公女)(1811-1890) 第一皇子 フリードリッヒ (1831-1888) ドイツ皇帝(フリードリッヒ3世)
第一皇女 ルイーゼ (1838-1923) バーデン大公妃
フリードリッヒ3世 (1831-1888)(在位:1888)
皇后 ヴィクトーリア (イギリス王女)(1840-1901) 第一皇子 ヴィルヘルム (1859-1941) ドイツ皇帝(ヴィルヘルム2世)
第一皇女 シャルロッテ (1860-1919) ザクセン=マイニンゲン公爵夫人
第二皇子 ハインリッヒ (1862-1929)
第三皇子 ジギスモント (1864-1866) 夭折
第二皇女 ヴィクトーリア (1866-1929) シャウンブルク=リッペ侯子夫人
第四皇子 ヴァルデマール (1868-1879) 早世
第三皇女 ゾフィー (1870-1932) ギリシャ王妃
第四皇女 マルガレーテ (1872-1954) 名目上のヘッセン方伯夫人
ヴィルヘルム2世 (1859-1941)(在位:1888-1918)
皇后 アウグステ・ヴィクトーリア (アウグステンブルク公子女)(1858-1921) 第一皇子 ヴィルヘルム (1882-1951) 皇太子
第二皇子 アイテル・フリードリッヒ (1883-1942)
第三皇子 アーダルベルト (1884-1948)
第四皇子 アウグスト・ヴィルヘルム (1887-1949)
第五皇子 オスカル (1888-1958)
第六皇子 ヨアヒム (1890-1920)
第一皇女 ヴィクトーリア・ルイーゼ (1892-1980) ブラウンシュヴァイク公爵夫人
夫人 ヘルミーネ (ロイス・ツー・グライツ侯女)(1887-1947)
※退位後の結婚
 
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