花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 東京都23区副都心(2) (文京区)
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関連大名家: 松江藩主松平家、盛岡藩主南部家、富山藩主前田家など
公開状況: 拝観時間は公式HP参照。
5代将軍綱吉の生母桂昌院の発願により創建された寺院。つまり江戸時代からあるお寺ですが、大名家というより、維新後の華族の墓所があります。


本堂右側から墓地に入ってすぐ右斜め前くらいにあるのが松江藩主松平家墓所。7代治郷(不昧)と夫人伊達氏、10代定安と夫人松平氏、定安側室鶴岡氏(伯爵直亮生母)、定安継嗣でのち分家した直応の墓碑と、合祀墓があります。合祀墓には伯爵直亮と2人の夫人、伯爵直國夫妻らが合祀されているそう。
他と時代の異なる治郷夫妻の墓碑については、西久保天徳寺にあった歴代墓所を国許に改葬する際、唯一廃棄せず残したものということのようです。


北西方向の奥へ向かって木立のあるあたりにあるのが盛岡藩主南部家墓所。塀に囲われたゆとりのある墓域に、14代利剛夫妻、15代利恭夫妻(夫人2人)、伯爵利祥、子女らの墓碑が並びます。


宇和島藩主伊達宗城の次男で、仙台藩主伊達慶邦の世子であった伊達宗敦と夫人松根氏の墓。
奥羽越列藩同盟の一員であった仙台藩は、戊辰戦争降伏後に藩主・世子に対して隠居謹慎が命じられており、宗敦はそのときに廃嫡されています (のち分家して男爵)。


旧富山藩主前田伯爵家墓。雑司ヶ谷側の新墓地にあります。13代利同夫妻、伯爵利男夫妻らが合祀されているそう。
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関連大名家: 徳川将軍家、高松藩主松平家、米沢藩主上杉家、福山藩主阿部家など
徳川家康生母お大の方の菩提寺であり、江戸時代を通して将軍家子女の菩提寺として庇護されたお寺。将軍家ゆかりの墓碑が多いですが、他の大名家の墓碑もあります。
墓地は非常に広く、本堂手前で左折して墓地に入って、主に右側、とくに奥のほうに将軍家関連の墓碑が集まっており、正面と左側にはその他大名家の墓碑がぽつぽつとある感じです。


家康生母お大の方の墓。


家康側室お奈津の方の墓。


2代将軍徳川秀忠の長女・千姫の墓。この裏手一帯が将軍家の墓域です。下に記載しているほかにも、吉宗・家斉・家慶の側室たちや、早世子女の墓碑が集まっています。


2代将軍徳川秀忠の四女・初姫(松江藩主京極忠高室)の墓。


3代将軍徳川家光の御台所鷹司氏(本理院)の墓。


3代将軍徳川家光の次男・亀松の墓。


3代将軍徳川家光の三男綱重の夫人二條氏(隆崇院)の墓。


会津藩7代藩主松平容衆夫人幸姫(12代将軍徳川家斉十五女)の墓。


高松藩10代藩主松平頼胤の墓(写真右)と、頼胤夫人結姫(12代将軍徳川家斉十六女)の墓(写真左)。


大垣藩初代藩主戸田氏鉄の夫人戸田氏の墓。


米沢藩7代藩主上杉宗房の夫人松平氏の墓。


米沢藩8代藩主上杉重定の夫人尾張徳川氏の墓。


米沢藩8代藩主上杉重定女俱の墓。


高須藩10代藩主松平義建の側室尾崎氏(11代義比生母)の墓。


飯山藩主桜井松平忠俱の夫人阿部氏の墓。


上山藩主能見松平重忠の夫人戸田氏の墓。


岩槻藩2代藩主阿部重次の継室久松松平氏の墓。


福山藩初代藩主阿部正邦女の墓。


府中藩7代藩主松平頼前の夫人尾張徳川氏の墓。
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関連大名家: 七日市藩主前田家、新発田藩主溝口家など多数
太田道灌開基の古刹で、明暦の大火後に現在地に移転。江戸時代に栄えた寺院のひとつで、非常に多くの大名家・旗本家の墓所が営まれていました。
下に取り上げているほかにも、松山藩主板倉家、高島藩主諏訪家、松前藩主松前家、壬生藩主鳥居家、福江藩主五島家、山上藩主稲垣家等の墓所が残っています。


新発田藩主溝口家の墓碑は、本堂手前から境内墓地に入った向きで主に右奥のほうに広く点在しています。
9代藩主溝口直侯夫人相良氏の墓碑は、溝口家のメインの墓域からちょっと手前のほうにあります。


3代宣直と4代重雄の墓碑は直侯夫人の墓よりももっと手前、墓地側にあります。


ほか、2代宣勝と夫人堀氏、宣直継々室平松氏、重雄継室酒井氏、5代重元と継室中院氏、6代直治、7代直温と夫人大河内松平氏、7代直温男直信と直信夫人松平氏、8代直養、9代直侯と継室久世氏、11代直溥夫人松井氏の墓碑があります。重雄継室酒井氏と7代直温夫妻の墓碑は上の宣直・重雄の墓碑に近いところですが、他は奥の塀に近いところに横並びに並んでいます。一部は角地の無縁墓集積所に食い込むような感じ。

(新発田藩2代藩主溝口宣勝墓)

無縁墓集積所の向かいに、維新後の溝口家の墓域があります。11代直溥の継室土屋氏、12代直正夫妻、それと累代墓があります。累代墓には、初代秀勝夫妻や伯爵直亮夫妻が合祀されているそう。


七日市藩主前田家の墓域は大きく2か所に分かれています。
ひとつは墓地左奥より少し手前くらいの一帯。維新後の前田子爵家墓や、9代利以、11代利豁と夫人岩城氏、12代利昭と夫人酒井氏、子爵利民らの墓碑があります。一部は木の陰にあったり崩れかけていたり。

(七日市藩9代藩主前田利以墓)

もう一か所は墓地中央奥の塀際のあたり。こちらは明確に墓碑が密集しています。
初代利孝と夫人本多氏、4代利慶、6代利理夫人前田氏、7代利尚と夫人板倉氏と継室相良氏、8代利見、9代利以夫人前田氏、10代利和夫人岩城氏、ほか側室や子女らの墓碑もあります。

(七日市藩初代藩主前田利孝墓)

また、七日市前田家の一か所目の墓域の近くに、金沢藩主前田斉泰の末男で維新後男爵家を立てた前田利武一族の墓所があります。
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関連大名家: 淀藩主稲葉家、椎谷藩主堀家
小田原藩主稲葉正勝を開基とする稲葉家の江戸の菩提寺。


本堂裏の墓地に入って右手のほうに開基稲葉正勝夫妻らの墓碑のある稲葉家墓域があります。
家譜によると佐倉藩主正往、淀藩初代正知、淀藩8代正備らの葬地とされていますが、墓碑は残っておらず、おそらく震災か戦災に遭い合祀されたものと思われます。


墓地内に入って左側にまっすぐ進むと、最奥手前あたりから右側方向に墓地が延びていますが、そのちょうど右折する参道のあたりで右手塀際に稲葉家の墓所が2つあります。ひとつは淀藩6代藩主稲葉正弘(写真右)と夫人会津松平氏の墓域。
ちなみに正弘は家譜では京都麟祥院に葬られたとされているので、分骨墓か供養塔でしょうか。


もう一か所は子女の墓域です。写真中央の墓碑は小田原藩2代藩主稲葉正則男正如のもの。


また、開基正勝墓のあるあたりの本堂寄りの位置に、玉垣に囲われた椎谷藩主堀家の墓所があります。こちらは歴代の墓碑が揃っているそう。
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関連大名家: 大垣藩主戸田家、大垣新田(野村)藩主戸田家
膳所藩主戸田一西の三男・尊誉上人の開山で、江戸の戸田家菩提寺。明暦の大火後に現在地に移転したとのこと。先の養源寺のほぼお向かいです。


山門入って正面の墓地参道をまっすぐ進んだところに大垣藩主戸田家の墓所があります。写真中央の五輪塔は11代氏共夫妻のもの。塀の中に進んですぐ右手に3代氏西夫人内藤氏の墓が、左には維新後の戸田家墓があります。


大垣新田藩主家の墓碑は、本家の墓域から左に行ってやや山門側に戻ったあたり。合祀墓となっており、墓誌には初代氏経から子爵氏懿までの歴代夫妻の名前が刻まれています。
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関連大名家: 明石藩主松平家
緒方洪庵のお墓があることで知られる寺院ですが、明石松平家ゆかりの墓碑が残っています。先の蓮光寺と境内地が隣接していますが入り口はほぼ正反対。

明石松平家の祖にあたる大野藩主松平直良夫人本多氏の墓碑。本堂左から墓地に入って左の塀際の列中ほどより手前あたり。
ちなみに夫人の墓の隣のブロックの近いところに、夫人の出身家にあたる重次系本多家関連と思われる合祀墓がありますが、これはおそらく夫人の兄弟の重看の家系のものかと思います。


その他、天童藩主織田家や岡田藩主伊東家の墓碑もあります。
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関連大名家: 唐津藩主小笠原家、丸亀藩主京極家
三河吉田城主小笠原忠知と讃岐丸亀城主京極高和を開基とする、唐津藩主小笠原家と丸亀藩主京極家の江戸の菩提寺。
本堂左に広がる墓地の手前側に小笠原家と京極家の墓所が残っています。ただし平成年間に改修されて墓碑の配置が変わっており、往時の状態ではありません。


墓地入ってすぐ右手に一列並ぶのが、小笠原家の墓所。
岩槻藩初代藩主長重、掛川藩初代藩主長煕、棚倉藩初代藩主長恭、棚倉藩2代藩主長堯、長堯世子長瑗、長堯男子千勝丸、唐津藩初代藩主長昌、唐津藩2代藩主長泰、唐津藩3代藩主長会ら計12基の墓碑があります。


墓地入ってすぐ目の前にある玉垣と門付きの宝篋印塔は、三河吉田藩3代藩主小笠原長祐夫人黒田氏のもの。


京極家の墓所は墓地入ってすぐ左。こちらは正面に開基京極高和の夫人藤堂氏の墓碑を据えて、その手前左右に12基並ぶ構成。
ちなみに1基だけ京極家ゆかりではなく亀山藩主系の石川家ゆかりの墓碑があります。淀藩主石川憲之世子昌能夫人藤堂氏のもので、これは高和夫人の姉妹という縁からだと思われます。


先述の藤堂姉妹のほか、初代高和男子(了仙童子)、3代高或夫人宇和島伊達氏、4代高矩夫人大河内松平氏、高矩世子高迢、5代高中夫人秋田氏、高中男高行、6代高朗継室酒井氏、高朗世子高美とその夫人浅野氏、維新後の分家墓があります。

(讃岐丸亀城主京極高和夫人藤堂高次女墓)
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関連大名家: 姫路藩主酒井家
日蓮宗のお寺で、姫路酒井家ゆかりの墓碑があります。


姫路藩10代藩主酒井忠邦夫人鏐子(7代忠顕女)の墓碑です。
維新後の明治41年没なので、姫路藩主家ではなく酒井伯爵家の時代。酒井伯爵家の墓所は谷中霊園にあり、そちらにも忠邦と並んで鏐子の墓碑があります。こちらの寺院にも墓碑があるのは宗派の関係でしょうか。
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関連大名家: 越前松平家
寛永年間に創建された、高田藩主松平光長を開基とする津山藩主松平家の香華寺。
津山松平家の墓碑は現在残っていませんが、光長の父にあたる北ノ庄藩主松平忠直の墓碑が残っています。


忠直の墓碑は本堂裏の墓地のすぐ目につくところにあります。
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関連大名家: 徳川将軍家
応永二十二年創建の古刹。徳川家康の側室・茶阿局の菩提寺です。


茶阿局の墓碑は本堂のすぐ脇のところに建っています。
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関連大名家: 加賀(金沢)藩主前田家
こちらには加賀前田家の側室墓が残っています。


本堂左にこぢんまりした境内墓地があります。加賀藩5代藩主前田吉徳の側室鏑木氏(真如院)の墓碑は、墓地の比較的奥のほうの左側にあります。


加賀藩12代藩主前田斉泰の側室加須屋氏の墓碑は、墓地右奥よりちょっと手前くらいのところ。個人の墓碑ではなく合祀墓で、並んで彫られている戒名のうち「春山院」が加須屋氏をさします。
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関連大名家: 淀藩主稲葉家、佐倉藩主堀田家
寛永元年に3代将軍徳川家光の乳母・春日局が創建した寺院で、春日局本人のほか、稲葉家の墓碑があります。


本堂手前の参道を左折して墓地に入ると突き当りに境内案内図があります。そのまま右折した奥が、稲葉家ゆかりの墓域。まず正面が春日局の墓。


春日局墓の左隣が小田原2代藩主稲葉正則夫人毛利氏の墓。


春日局墓の手前左右に稲葉家墓が並びます。右が淀稲葉家の墓。
家譜などによると淀藩2代正任、同9代正発、同11代正誼と、子女らが湯島麟祥院を葬地としているので、おそらくこの稲葉家墓に合祀されているものと思います。


もうひとつが淀稲葉家の分家に当たる館山藩主稲葉家の墓。
こちらは旗本時代の2代正方、3代正福と、館山藩初代藩主正明の世子正令、2代正武、ほか早世子女らの合祀墓と思われます。


館山稲葉家墓の隣にあるのが古河藩主堀田正俊夫人稲葉氏の墓。隣には佐倉藩主堀田正睦の長男春之助の墓碑もあります。
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