花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 東京都23区副都心(3) (渋谷区)
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関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家、秋月藩主黒田家、久留米藩主有馬家、広瀬藩主松平家など
福岡藩主黒田忠之が創建した黒田家菩提寺。江戸時代を通して臨済宗大徳寺派の触頭として寺勢を誇り、多数の大名家菩提寺となっています。
祥雲寺本堂左から裏手に広がる墓地は、旧塔頭の墓地も兼ねているようです。


山門を入って両脇に旧塔頭寺院が並ぶ通りを道なりに行くと、駐車場に至って左奥が墓地入り口です。
駐車場の隅のほう、墓地入り口の向かいあたりに建つ五輪塔は、福岡藩11代藩主黒田長溥夫人黒田氏の墓塔です。


また、墓地入ってすぐ、左奥のほうが新設された樹木葬墓地になっていますが、ここは2021年くらいまでは福岡藩主黒田家の妻妾墓が3基並ぶエリアでした。無くなってしまいましたが写真だけ。。
福岡藩6代藩主黒田継高夫人黒田氏の墓。


福岡藩7代藩主黒田治之夫人榊原氏の墓。


福岡藩9代藩主黒田斉隆の側室渡辺氏(10代斉清生母)の墓。


そのまま中央の墓地参道をまっすぐ行くと、右手に信濃飯田藩主堀家の墓域があります。※堀家の菩提寺は祥雲寺塔頭東江寺
手前の3つの板碑は墓誌で、歴代一族の名前と戒名が並んでいます。


堀家の墓域を右手に見て、ちょっと先に進んで左手に、大名家ではありませんが江戸幕府奥医師の家柄として知られる今大路家の墓碑が並ぶ一角があります。写真左から2番目が今大路道三玄淵の妻で弘前藩主津軽信義の娘である八重の墓。


そのまま分岐を右に入ってすぐのところにあるのが、福岡藩4代藩主黒田綱政の世子吉之の大きい墓碑と、2代忠之夫人松平氏の墓碑。


吉之墓域と地続きで、右隣に東蓮寺藩主家の墓碑が並びます。東蓮寺藩2代藩主黒田之勝墓。


東蓮寺藩初代藩主黒田高政墓。同じ区画に早世子女墓もあります。


東蓮寺藩主家墓域の右隣が、秋月藩主黒田家の墓域。所狭しと並ぶ墓碑は31基に及びます。初代長興から11代長義までの歴代藩主夫妻(長興の最初の夫人岩城氏をのぞく)墓と、長韶男長惺などの子女墓です。


さらに右隣にあるのが、福岡藩初代藩主黒田長政の墓。この手前左右には、長政夫人保科氏と長女亀(赤穂藩主池田輝興室)の墓塔もあります。


墓地の右最奥から上墓地につながる石段を上がってすぐのところにあるのが、久留米藩主有馬家の墓域。
合祀墓で、右の墓誌には久留米藩3代藩主頼利から昭和期の当主頼義氏までの歴代と、正室・側室・子女らの名前が並びます。


久留米藩主家の墓域横にあるのが、旧久留米藩主有馬家分家、男爵有馬頼多家の墓。この隣(写真奥)には旧吹上藩主有馬子爵家の墓所もあります。


上墓地の中ほどには広瀬藩主松平家の墓所があります。写真左が合祀墓で、右は広瀬藩初代藩主松平近栄の墓碑。


以上のほかにも安部家や一柳家、北条家などの墓所があります。
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関連大名家: 米沢藩主上杉家、黒石藩主津軽家
米沢藩2代藩主上杉定勝の側室斉藤氏(3代綱勝生母)を中興開基とする寺院で、境内墓地に上杉家ゆかりの墓碑が残っています。


本堂左手に広がる墓地に入り、奥側の参道に行き当たったら右折して、少し行った左手に空き地っぽいエリアがあります。その隅、歴住墓地と隣り合う位置に並ぶ墓碑が上杉家ゆかりの墓碑です。
写真右から旗本津軽政兕夫人吉良義央女阿久里、旗本吉良義央夫人上杉定勝女三(阿久里の母)、上杉定勝側室斉藤氏(三の母)と、母娘3代の墓碑が並んでいます。


また、本堂裏手の小高くなったところに、旧佐土原藩主島津家の明治以降の墓所もあります。
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関連大名家: 西条藩主松平家
徳川家康の側室・お万の方(紀州家祖頼宣と水戸家祖頼房の生母)が建立した紀州徳川家の菩提寺。
戦後の区画整理などで紀州家の墓碑は移転改葬されたらしく残っていませんが、連枝の西条松平家の合祀塔があります。


松平家之墓。右手に墓誌がありますが、ほとんど童子・童女で、大姉や大禅定尼も数名といった感じです。
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