花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 東京都23区西部 (世田谷区・中野区・杉並区・北区・練馬区)
所在: 世田谷区 (Google Map)
関連大名家: 彦根藩主井伊家
公開状況: 拝観時間は公式HP参照。
招き猫のモチーフが著名な、周辺の地名にもなっている大寺院。彦根藩主井伊家の菩提寺で、井伊家墓所は国指定史跡です。


本堂左手に墓地が広がりますが、井伊家墓所は塀に囲われています。


都内に残る旧大名家墓所では一番広いんじゃないかという規模で、藩主・正室・側室・子女ら90基ほどの墓碑が並びます。藩主・当主では2代直孝、6代直恒、10代直禔、12代直幸、15代直弼、16代直憲、維新後の伯爵直忠の7名の墓碑があります。

(15代藩主井伊直弼墓)
所在: 世田谷区 (Google Map)
関連大名家: 小田原藩主大久保家、荻野山中藩主大久保家、烏山藩主大久保家
江戸五色不動の一つ、目青不動のお寺。もとは百人町にあり、明治後期の区画整理に伴い現在地に移転したとのこと。
境内墓地に大久保家の墓所が残ります。


墓地入って左の突き当たりに烏山藩主家の墓所があります。初代常春、2代忠胤、3代忠卿、5代忠成の墓碑と、その横の合祀墓には家祖忠知と忠高・初代藩主常春から8代藩主忠順までの歴代藩主・維新後の子爵忠春の名が、夫人とともに刻まれています。


烏山藩主家の墓碑の左脇から奥の墓地に入り、一般墓地を迂回するように進むと左手に荻野山中藩主家の墓所。松長藩初代藩主教寛から荻野山中藩2代藩主教孝までの歴代と、正室や子女らの墓碑が並びます。


荻野山中藩主家の墓域の向かいに小田原藩主家の墓域があります。唐津藩主忠職の供養碑と、初代忠朝から10代忠良までの歴代小田原藩主ならびに正室や子女らの墓碑が並びます。ただし小田原藩3代藩主忠方の墓碑のみ、同墓域にない模様。寛政重修諸家譜などには葬地は教学院と記されているので、寺院移転時に行方不明になったとかでしょうか。
所在: 世田谷区 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家、唐津藩主小笠原家
徳川家ゆかりの寺院。江戸のころから浜松→駿府→湯島→浅草と移転を繰り返し、さらに関東大震災の被害を受けて現在地に移転したそうです。


境内入って左手に広がる墓地の、左端列の中ほどあたりに唐津藩主小笠原家の墓所があります。合祀墓となっており、墓誌には家祖忠知とその父秀政、棚倉藩主長堯、唐津藩初代藩主長昌と同5代長国、世子長行、維新後の子爵長生らの名があります。ちなみに写真右手前に写る宝篋印塔は、墓誌にも名を連ねる忠知夫人多賀氏のもの。


また、書院の裏手にある墓域(山門正面に位置する建物(本堂?)の裏に回ると右手に直進できるので、そのまままっすぐ行って左にある墓域)の左奥の端に、3代将軍徳川家光の側室お夏の方(三男綱重生母)の供養碑が残っています。
所在: 世田谷区 (Google Map)
関連大名家: 久留米藩主有馬家
久留米藩主有馬頼元を開基とする寺院で、有馬家に関連する墓碑が2基あります。もとは北品川にあり、関東大震災後に現在地に移転したとのこと。


有馬家関連の墓碑はどちらも、山門入って本堂に至る参道途中の左手にあります。

(藩祖有馬則頼側室玉樹院)


(久留米藩4代藩主有馬頼元側室養福院)
所在: 中野区 (Google Map)
関連大名家: 佐賀藩主鍋島家、蓮池藩主鍋島家
室町時代に創建された、中野長者鈴木九郎を開基とするお寺。蓮池藩主鍋島家の墓所があります。


山門入って左に進むと墓地に入りますが、ちょっと行ったところで左折すると蓮池藩主鍋島家の墓碑が並ぶ一角があります。4代藩主直恒の墓碑と、子女墓が6基ほど。


また、墓地の奥に進んで右折すると「鍋島地蔵」(公式HPの境内案内図が位置関係わかりやすい) という中野区の文化財に指定されている菩薩像がありますが、これも名前の通り鍋島家関連。


公式HPでは具体的に誰の墓碑であるのか不明という扱いですが、没年月日と戒名からすると佐賀藩主鍋島綱茂の長女鶴の墓碑だろうと思われます。
所在: 中野区 (Google Map)
関連大名家: 島原藩主深溝松平家
もとは神楽坂にあり、明治後期の区画整理に伴い現在地に移転したとのこと。本堂裏の墓地真ん中よりやや手前あたりに島原藩主深溝松平家の婦女子の墓碑が残っています。


島原藩初代藩主忠房養女、同2代忠雄女、島原藩再封初代藩主忠恕夫人真田氏、同2代忠馮夫人井伊氏の4名の墓碑。
他に福島藩主板倉家・庭瀬藩主板倉家の菩提寺でもあったそうですが、板倉家の墓碑は区の文化財になっている深溝藩主板倉重昌墓をのぞき移転改葬されたようです。
所在: 中野区 (Google Map)
関連大名家: 郡山藩主柳沢家
もとは小日向にあり、明治後期の区画整理に伴い現在地に移転したとのこと。


柳沢吉保に所縁のある寺院で、本堂裏の境内墓地に吉保の側室飯塚染子と、彼女の生んだ吉保の娘の墓碑が残っています。
墓地入ってすぐに右折して奥に向かう途中、一番手前の並びの真ん中くらいの位置。

(甲府藩主柳沢吉保側室飯塚染子墓)


(甲府藩主柳沢吉保女墓)
所在: 中野区 (Google Map)
関連大名家: 宇都宮藩主戸田家、足利藩主戸田家
もとは神楽坂にあり、明治後期の区画整理に伴い現在地に移転したとのこと。宇都宮藩主戸田家3代忠昌以降の戸田家菩提寺。


明治の寺院移転の際に戸田家墓所は国許宇都宮の英厳寺跡に改葬されたとのことで、現在残っているのは寺院の中興開基にあたる忠昌と夫人の墓、および合祀墓の3基だけです。墓地に入った向きで右奥の、本堂寄りのいちばん端のほうにあります。

(佐倉藩主戸田忠昌ならびに夫人秋元氏墓、合祀墓)

また、足利藩主戸田家の墓碑もあります。墓地の比較的手前、植え込みに隠れるような形。家祖忠継から子爵忠孝までの歴代合祀墓です。
所在: 杉並区 (Google Map)
関連大名家: 青野藩主稲葉家
江戸の日蓮宗触頭の一つ。もとは下谷にあり、大正時代に現在地に移転したとのこと。
墓地に青野藩主稲葉正休の墓があります。


墓地は境内からちょっと離れた場所にあります。墓地に入って左奥の五輪塔が稲葉正休や夫人土屋氏ら計6名の合祀墓となっています。

所在: 北区 (Google Map)
関連大名家: 小田原藩主大久保家、伊勢亀山藩主石川家
小田原城主大久保忠世が菩提寺として小田原に開いた大久寺が、忠隣改易後に江戸に移転したもの。もとは下谷にあり、明治に入って現在地に移転したとのこと。
ちなみに小田原の大久寺もしばらくして名前を変えず再興され、忠世らの墓所を抱える寺院として現在に至っています。


本堂裏の墓地の中ほどに、改易された小田原藩主大久保忠隣の墓碑が残っています。写真真ん中。忠隣左の墓碑は忠世墓らしい。


忠隣の墓碑のすぐ近くには、伊勢亀山藩主石川家の墓碑が並びます。石川家は勉強不足で細かい被葬者はわかりませんでしたが、忠総の墓はありました。
所在: 練馬区 (Google Map)
関連大名家: 会津藩主松平家、加賀(金沢)藩主前田家、柳河藩主立花家、柳生藩主柳生家など
公開状況: 拝観不可
江戸時代は大名家を多数檀家に抱える大寺院で、広大な寺域を誇ったとされます。もとは下谷にあり、関東大震災などを契機に現在地に移転。
寺院移転の際、多くの大名家墓所は合祀されたり他寺院へ改葬されたりしたそう。現在は拝観謝絶とのことで、基本的に檀家以外は境内に入れません。
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