花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 東京都23区東部(1) (台東区)
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家
公開状況: 将軍家墓所は通常非公開
増上寺と並ぶ徳川将軍家菩提寺。


4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6人の将軍のほか、10代家治の長男・家基、13代家定御台所・天璋院が埋葬されています。かつては4代家綱(厳有院)と5代綱吉(常憲院)の霊廟があったものの、東京大空襲の被害に遭い、残念ながら大部分焼失してしまったそう。残された霊廟建築のうち、それぞれの霊廟の勅額門のみ見ることができます。


(常憲院霊廟勅額門)


(厳有院霊廟勅額門。こちらは一般道に面しています)

徳川家墓所は通常非公開ですが、一般公開されることもあるらしく、公式HPに特別参拝の案内ページがあります。現在休止中ですが、申込方法がハードル高い。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 弘前藩主津軽家、黒石藩主津軽家
寛永寺の子院で、弘前藩主津軽家ならびに黒石藩主津軽家の江戸の菩提寺。


山門手前の右にあるカーテンゲートの向こうが境内墓地です。墓地入って正面奥に並ぶ3基の五輪塔が、黒石藩主家の墓碑。


奥の塀際にあるのが維新後の津軽子爵家当主・類橘夫妻墓で、残りの2基は墓銘がありませんが歴代合祀墓(家祖信英と本家(弘前藩)を継いだ寧親・順徳の3名を除く)と夫人や子女の合祀墓らしい。


なお弘前藩主家の墓碑は改葬に伴い廃棄されたそうで、わずかに残された墓碑は谷中霊園隣接の津梁院墓地にあります (非公開)。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 多数
徳川家康を開基とする日蓮宗の寺院。広大な墓地に大名家関連のお墓が多く残っています。
各墓の細かい位置は図がないととても説明できないので、位置関係の記載は省略。


岡藩主中川久恒夫人池田氏の墓碑。


岡藩主中川久慶夫人中川氏の墓碑。中川家はほかに婦女子墓が3基あります。


会津藩主松平正容の三男正甫(写真手前)ならびに三女養の墓碑。


会津藩主松平正容の継室横山氏(三男正甫と二女順の生母)の墓碑。


会津藩主松平正容の二女順の墓碑。


福山藩主阿部正福夫人松平氏の墓碑。


福山藩主阿部正邦夫人山内氏の墓碑。


高松藩主松平頼豊夫人正親町氏の墓碑。


高田藩主久松松平定重継室駒井氏の墓碑。写真に見切れていますが左手前に桑名藩主松平定永の娘邦子の墓碑もあります。


土佐藩主山内豊昌夫人松平氏の墓碑。


伊予松山藩主久松松平定長女貞の墓碑。


郡山藩主本多忠常夫人浅野氏の墓碑。


福岡藩主黒田綱政世子吉之夫人本多氏の墓碑。


敦賀藩主酒井家の合祀墓。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家
先の瑞輪寺のすぐご近所。秋田藩主佐竹義宣を開基とし、江戸時代には秋田藩主佐竹家と津藩主藤堂家の祈願寺だったとのこと。


本堂右から裏手の墓地に入り、中央参道をまっすぐ行くと中ほどあたりで右手に宝篋印塔が目に入ると思います。津藩主藤堂高虎継室長氏と、彼女の生んだ高虎次男高重の墓碑です。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 熊本(肥後)藩主細川家
こちらも瑞輪寺や西光寺のご近所。熊本藩6代藩主細川重賢の側室金沢氏(7代治年生母)のお墓があります。


本堂裏の墓地の奥の端のほうです。墓地に入った地点から見ると左奥の端。
こう菩提寺でもないところにぽつんとある場合、たいてい宗派か実家の関係なんですが、この場合は宗派でしょうか。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 忍藩主奥平松平家
根津の商店街に続く車通りの多い道路に面した町中のお寺で、松平下総守家2代・白河藩主松平忠弘が開基。幕末には忍藩主であった松平下総守家の合祀墓があります。


家祖忠明から維新後の子爵忠寿までの歴代夫妻、ならびに側室や夭折子女ら一族合祀墓。本堂向かって左側の墓地に入る道をそのまままっすぐ行ったら左手にあります。


なおこの合祀墓の左手前には、寺号の元となった忠弘夫人細川氏の墓塔が残されています。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家
公開状況: 藤堂家墓所は非公開
寒松院は藤堂高虎を開基とする寛永寺の子院のひとつですが、藤堂家墓所はなんと上野動物園内にあります。
そのため、藤堂家墓所を眺めるには動物園の入園料を払う必要があります。当然ながら動物園には営業時間中にしか入れません。

藤堂家墓所は非公開ですが、塀の外からなんとなく墓塔が見えます。動物慰霊碑のところ。
初代高虎から10代高兌までの歴代藩主と、高虎継室長氏、6代高治の子で7代高朗の世子高般、9代高嶷の世子高崧とその嫡男高巽の墓碑があるそうです。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 淀藩主稲葉家、佐倉藩主堀田家、福山藩主阿部家
公開状況: 墓地は非公開
稲葉正成を開基とする寛永寺の子院で、墓地には正成と、3代将軍家光に殉死した堀田正盛・阿部重次の墓塔が残ります。

墓地は寺院境内から少し離れたところにあり、入り口に鍵がかかっているため入れません。どれがだれの墓なのか判別できるほどではありませんが、道路からある程度見えます。
※寺院に墓参を申し出て鍵をお借りすることも可能な模様です。


墓地の右端のほうに葵の御紋をつけた宝塔と五輪塔が並んでいたので調べたら、一橋徳川家2代当主治済の世子治国と、その夫人二条氏のものらしい。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 高松藩主松平家
高松藩主松平家の江戸の菩提寺のひとつで、関東大震災後に建てられたという合祀墓が残っています。


墓碑は本堂向かって左の墓地の、比較的手前側にあります。
8代頼儀の側室藤木氏(10代頼胤生母)や、9代頼恕の側室浅田氏(11代頼聰生母)など、江戸で亡くなった側室や子女ら40名弱が合祀されています。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 佐貫藩主阿部家
佐貫藩主阿部家の菩提寺。


本堂左脇から裏の墓地に回り、奥の壁際中ほどです。墓碑がかなり新しいので、近年に再建されたものと思われます。
家祖阿部正春ならびに歴代の佐貫藩主を合祀しているそう。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家、高遠藩主内藤家
徳川家康が開基のお寺。本堂から道路を挟んで南側(本堂向かって左)にある近隣4寺院の共同墓地に、家康の側室・お竹の方(三女振姫生母)のお墓があります。


墓地に入った向きで右端列中ほどにある五輪塔がお竹の方の墓碑です。


また、お竹の方の墓碑のはす向かいにある、いかにも古そうな宝篋印塔がおそらく高遠藩主内藤家の合祀墓ではないかと思います。墓誌もないので墓碑からは何もわかりませんが、「江戸大名墓総覧」によると3代清次、4代清政、13代頼寧、14代頼直夫人戸田氏らの合祀塔らしい (ただし遺骨は新宿太宗寺に改葬)。
所在: 台東区 (Google Map)
関連大名家: 多数
23区内にある大規模な霊園のひとつ。
エリア全部が公営霊園ではなく、寛永寺(子院含む)・天王寺の墓地を含みます。入り組んでいる上に公営霊園エリア以外は位置を示す番号が振られていないので、場所を把握するのが大変です。目的があって探索するならGoogle Mapの有名人墓のポイント表記を頼りにしたほうがいいです。

まずは徳川慶喜家(第六天徳川家)の塋域から (寛永寺谷中第二霊園)。
ここは都の史跡となっています。柵越し。中には慶喜、美賀子夫人、側室新村信・中根幸・一色壽賀(須賀)、継嗣の公爵慶久と実枝子夫人、それから慶喜の夭折子女合祀墓があります。


慶喜家の墓所の正面にあるのが一橋徳川家の墓域 (寛永寺谷中第二霊園)。
慶喜家墓所とは向かい合っているのではなく同じ方向を向いているので、慶喜家墓所から見ると一橋徳川家の墓塔の背面が見えます。こちらも慶喜家墓所同様入り口が閉ざされており、柵越しになります。凌雲院から改葬された歴代一族合祀墓と、維新後の伯爵家当主、茂栄夫妻と達道夫妻のお墓があります。


一橋徳川家の塋域の斜め向かいが高松藩主松平家の墓所 (乙4号1側)。だったのですが、私が来訪した時点では更地になっていました。近年に国許高松の法然寺へ改葬された模様。

高松松平家墓域跡から北西方向に進むと、突き当りに今治藩主久松家と守山藩主松平家の墓塔が並びます (乙2号1側)。
今治藩主家の墓塔には最後の藩主松平定法と夫人綾小路氏、継嗣の子爵定弘夫妻らが合祀されています。


守山藩主家は維新後の子爵家墓で、11代当主秋雄や12代当主圀弘の名前が墓誌に刻まれています。


ちょっと戻って一橋徳川家墓域門前の位置から1区画分東に進んで左折すると、正面に津山藩8代藩主松平斉民ならびに継嗣の子爵康民夫妻の墓域が見えます (寛永寺谷中第二霊園)。
塀に囲われた区画に、斉民・康民父子のほか、斉民の側室渡辺氏・勝田氏と、康民の夫人松平氏、側室森川氏、康民長男康良の墓碑があります。


先述の津山藩主松平斉民墓域に向かう途中左手に、津山藩主松平家の合祀墓があります (寛永寺谷中第二霊園)。
もともと西久保天徳寺にあった墓所を昭和初期に改葬合祀したもので、津山藩主家が祭祀を継承した越前松平家の高田藩主光長夫妻のほか、初代宣富・7代斉孝をのぞく津山藩の歴代藩主ならびに藩主夫人や夭折子女らの合祀墓です。


続いて鴨方藩主池田家の墓 (乙10号6側)。
玉垣などで区切られていないのでちょっとわかりづらいですが、10代藩主政保と継嗣の子爵政鋹、8代藩主政善夫人山内氏の墓碑が並びます。


東に進んで、渋沢栄一家墓所の向かいにあるのが福山藩主阿部家の墓 (寛永寺谷中第一霊園)。
もともと浅草西福寺にあった墓所が関東大震災後に改葬されたもの。珍しく合祀されずに一人一人の墓塔が残ります。初代正邦から8代正教までの藩主と、夫人や子女墓20基超が塀の中に並びます。なお9代藩主正方は国許広島県福山市の小坂山に、10代藩主正桓は谷中霊園の甲9号9側に墓碑があります。


阿部家墓所の右斜め後ろ(北側)に、田安徳川家の墓域があります (寛永寺谷中第一霊園)。
こちらも一橋家などと同じく入り口が閉ざされて近づけません。尾張藩主に転出した4代斉荘・宗家16代となった7代家達をのぞく歴代の墓があるそうです。
(なお田安徳川家墓域の裏手が広々とした浄苑になっていますが、もともとは徳川将軍家の正室・側室・夭折子女らの墓所があった場所です。)


田安徳川家墓域を右手にしてまっすぐ道を進むと、右に清水徳川家の墓所があります (寛永寺谷中第一霊園)。ここは他の御三卿墓所と違って施錠されていないので墓塔に近寄れます。
まず初代・徳川重好墓。


徳川重好夫人・伏見宮貞建親王女貞子女王墓。


清水徳川家2代・徳川敦之助墓。


清水徳川家4代・徳川斉明墓。(ちなみに3代斉順は紀州藩主に転出)


清水徳川家7代・徳川篤守墓。(ちなみに5代斉彊は紀州藩主に転出、6代昭武は水戸藩主に転出)


清水徳川家墓所の向かいが宇和島藩主伊達家の墓域 (乙8号11側)。といっても向かい合っているのではなく同じ方向を向いているパターン。
ここも施錠されており墓域内には入れません。8代藩主宗城と、維新後の侯爵家当主宗陳夫妻、宗彰夫妻らが葬られています。


宇和島伊達家の墓域を背にして右斜め前にあるのが姫路藩主酒井家の墓所 (乙8号14側)。
10代藩主忠邦、継嗣の伯爵忠興、さらに次代の伯爵忠正らの墓が並びます。


宇和島伊達家や清水徳川家の墓域の西向かいあたりに、高瀬藩主細川家の墓所があります (寛永寺谷中第一霊園)。
維新後の子爵家当主利文夫妻とその継嗣の利壽夫妻墓。


高徳藩主戸田家墓所 (乙13号1側)。
忠至、忠綱、忠義、忠肅ら維新後の歴代墓所です。


館林藩主秋元家墓所 (乙14号1側)。
歴代合祀墓で、館林藩初代藩主志朝、同2代禮朝、維新後の子爵家当主興朝、春朝らが合祀されているようです。


岩村藩主大給松平家墓所 (春性院墓地)。霊園乙14号と寛永寺谷中第一霊園徳川浄苑に挟まれたエリアです。
墓域内には初代乗政の五輪塔があり、その隣の合祀墓には維新後の子爵家当主乗長、乗文らが葬られています。


阿部正桓墓所 (甲9号9側)。
福山藩最後の藩主で、維新後は伯爵となった正桓ですが、西福寺から改葬された歴代墓所(寛永寺谷中第一霊園)とは別の墓域に葬られています。墓域内には夫人阿部氏、継室鍋島氏、継嗣の伯爵正直夫妻の墓もあります。


高瀬藩主細川家のもうひとつの墓所 (天王寺墓地)。
高瀬藩10代藩主利永と夫人錫子、長男の利義らの墓碑が並びます。


松山藩8代藩主酒井忠匡墓所 (天王寺墓地)。
同墓域内には忠匡夫人大木氏、継嗣の子爵忠晄とその次代の子爵忠康の墓碑もあります。


古河藩主土井家墓所 (天王寺墓地)。
最後の藩主利与(利與)と夫人の墓のほか、写真左に写る土井家墓には継嗣の子爵利孝が埋葬されています。


あとは乙12号10側隣接の津梁院墓地に弘前藩主津軽家の墓所がありますが非公開。初代藩主信枚と最後の藩主承昭、その継嗣の伯爵英麿らの墓碑があるようです。

他にも園部藩主小出家、飫肥藩主伊東家、須坂藩主堀家、烏山藩主那須家などに関連する墓碑があり、大名家関連に限って見て回るだけでもかなり時間がかかります。この項では知名度的な観点で徳川慶喜墓所を最初に持ってきていますが、普通に回ろうとしたら寛永寺側からでも日暮里側からでも慶喜家墓所を最初にしないほうが効率いいです。
TOP 葵の間 竜胆の間 秋桜の間 百合の間
トップページ 天皇家・公家・大名家 掃苔録 欧州王室 リンク
当サイトはリンクフリーです。ただしトップページ以外はURLが変更になる可能性がありますので、リンクする際はトップページをリンクしてください。
当サイトの内容を転記・転載する行為は一切おやめください。
なお当サイトの内容を参照・利用することで損害が発生した場合でも、管理人は一切の責任を負いかねます。