花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 東京都23区東部(2) (墨田区・江東区・荒川区・葛飾区)
所在: 墨田区 (Google Map)
関連大名家: 淀藩主稲葉家、若桜(西館新田)藩主池田家、与板藩主井伊家、泉藩主本多家
小田原藩主稲葉正則を開基とするお寺で、江戸時代には複数の大名家の墓所が営まれていたそうですが、関東大震災などにより今はほとんど合祀墓となっています。


本堂右手から境内墓地に入れますが、その手前に若桜藩5代藩主池田定常(冠山)の墓碑が残されています。いわゆる亀趺碑の形式ですね。


また冠山墓の奥には与板藩主井伊家の納骨堂があります。掛川藩2代藩主直武以降の歴代(世田谷豪徳寺に墓のある直安のぞく)が葬られている模様。


墓地に入り、本堂に沿う列の奥のほうに若桜藩主池田家の合祀墓があります。10代藩主徳定や、その継嗣である子爵清就はこちらに埋葬されているそう。


若桜池田家のほぼ向かいに泉藩主本多家の合祀墓があります。泉藩に転封になる前の相良藩主本多忠通と、泉藩3代藩主忠誠以降の歴代や一族合祀墓のようです。


淀藩主稲葉家の合祀墓。こちらには淀藩3代藩主正恒と、一族が合祀されているそう。墓銘に開基とあります。
所在: 墨田区 (Google Map)
関連大名家: 平戸藩主松浦家
公開状況: 拝観不可
平戸にある雄香寺と同じく盤珪禅師を開山とする、平戸藩主松浦家の江戸の菩提寺。

境内には開基にあたる平戸藩4代藩主松浦鎮信(天祥公)の墓碑が残りますが、非公開。そもそも檀家でもチャイムを鳴らして門を開けてもらうスタイルのようで、無関係の一般人では門前の写真を撮ることすらためらわれる感じ。
ただ、門前に立って向かって右側の塀の向こうにほんのり見える笠塔婆や丸型の墓塔が松浦家関連ではないかなと思います。
所在: 江東区 (Google Map)
関連大名家: 桑名藩主久松松平家、高田藩主榊原家、膳所藩主本多家、神戸藩主本多家など
公開状況: 松平定信塋域は非公開
寛政の改革を行った老中松平定信の墓所を抱える寺院として著名。江戸時代には多くの大名家墓所が営まれていたものの、例に漏れず関東大震災による被害を受け、墓地が整理されたのを機に大半が合祀墓となったそうです。


本堂左横にある松平定信塋域。門は閉ざされており中には入れません。
門の向こう側に定信のお墓があり、ほか定信夫人松平氏と継室加藤氏、家祖定綱、定綱側室浅井氏の墓碑があります。


また、山門から本堂に至る参道途中の左側に境内墓地がありますが、そこに各大名家の合祀墓が建っています。墓地に入った向きでいうと右端のほうにおおむねまとまっています。
まずは先の定信が養子入りした桑名藩主久松松平家墓。当主の代数で3代定重、4代定逵、7代定賢、8代定邦、10代定永、11代定和、12代定猷らが合祀されているそう。


高田藩主榊原家墓。高田藩初代藩主政永以降の歴代藩主合祀です。


膳所藩主本多家墓。6代藩主康桓、9代藩主康匡、10代藩主康完、11代藩主康禎ならびに婦女子が合祀されているようです。


神戸藩主本多家墓。墓塔自体は初代藩主本多忠統のものですが、5代忠升までの歴代合祀墓。婦女子も合祀されているそうです。
所在: 江東区 (Google Map)
関連大名家: 高田藩主榊原家
榊原忠次を開基とする寺院。境内に、お隣の霊巌寺から移された村上藩主榊原政倫の墓が残ります。


入り口すぐのところです。関東大震災後の墓地整理に伴う改葬合祀の中で移転されてきたものだそう。
所在: 江東区 (Google Map)
関連大名家: 仙台藩主伊達家、郡山藩主柳沢家
徳川家綱の乳母・三沢局の遺志により創建されたお寺。
伊達家、柳沢家ともに夫人墓があります。どちらの家ともこれといった所縁はなさそうですが、宗旨が日蓮宗というところがポイントでしょうか。


本堂左側に広がる墓地に入り、本堂寄りの墓地奥、ほとんど突き当たりあたりに2基ともあります。墓塔は並んでいるわけではないですが近い位置。
郡山藩主柳沢信鴻夫人伊達氏の墓碑。無縁墓になってしまっているようで、縁者がいたら連絡してほしい旨お寺から案内書きが出ています。


宇和島藩主伊達村年夫人伊達氏の墓碑。先の柳沢信鴻夫人伊達氏の実母に当たりますが、亡くなったのは娘のほうが先。こちらはもとは五輪塔だったんでしょうか、墓碑を構成する石が一部無くなってしまっています。
所在: 江東区 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家
徳川家康の側室・阿茶局を開基とする寺院で、阿茶局の墓碑があります。


阿茶局の墓碑は本堂右横の墓地に入って比較的すぐのところ。
所在: 荒川区 (Google Map)
関連大名家: 浜田藩主越智松平家
越智松平家の菩提寺で、家祖清武の墓塔と、歴代一族の合祀墓が残ります。


もともとは家宣・清武兄弟の生母お保良の方の菩提寺だったそう。お保良の方の墓碑は、のちに家宣が将軍になったことから寛永寺に移されましたが、清武がそのまま自身の菩提寺としています。
本堂向かって右の墓地の、手前中ほどあたりに松平家の墓域があり、清武の墓碑(写真右)と合祀墓が並びます。戦前までは歴代藩主や一族の墓塔が立ち並ぶ墓所があったようですが、戦後の区画整理で合祀墓になったとのこと。
所在: 葛飾区 (Google Map)
関連大名家: 伊勢崎藩主酒井家
酒井忠世の帰依により創建された寺院で、かつては浅草にあり酒井家の菩提寺だったところ、関東大震災に被災して移転したもの。
今は境内に伊勢崎藩主酒井家の墓所があります。


本堂裏手の墓地の一番手前列左端に酒井家塋域が設けられています。写真左側の奥から3代忠温墓、7代忠恒墓、9代忠彰夫妻墓。写真中央やや右の角型墓碑は累代墓と思われます。
所在: 葛飾区 (Google Map)
関連大名家: 平戸藩主松浦家
もともと松浦家の隠居寺で、関東大震災を機に東京の他の2寺院から改葬されてきた宝篋印塔が2基あります。


本堂左の墓地の左奥です。11代藩主曜の継々室岡部氏のほか、側室や子女の合祀塔となっています。
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