花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 長野県
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家、松代藩主真田家など
言わずもがなの有名寺院ですが、いくつか大名家関係の供養墓があります。


松代藩主真田家の供養墓。信之男信重、信政女(青山忠親室)ら、一族のもののようです。


徳川家大奥関係者の供養墓。家康側室お竹の方、家光正室鷹司氏、家光三男綱重継室綾小路氏ら。
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
公開状況: 真田家墓所の拝観は要申込・要拝観料。拝観時間、拝観料などは公式HPまたは信州松代観光協会のHP参照。
松代藩主真田家の菩提寺で、初代信之・4代信弘の霊屋と、真田家墓所が境内に残ります。国指定史跡。


本堂右手で拝観受付をすると、霊屋や墓所を案内してもらえます。

(4代藩主真田信弘霊屋)

真田家墓所は戦国時代の昌之・幸村らの供養塔含め28基30名の墓碑が並びます。


初代信之から10代幸民までの歴代藩主と、明治以降の真田伯爵家当主2名、4代信弘世子幸詮や8代幸貫世子幸良ら13名の早世子女の墓が列をなしています。


なお、拝観順路には含まれていませんが、一般墓地の奥(上記写真の正面の塀を越えた先)には藩主生母3名を含む側室4名の墓碑もあります。
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
松代藩初代藩主真田信之の菩提寺。もともとは信之の隠居地だったようで、松代城下からはやや離れた場所にあります。


回廊をくぐって本堂があり、その左脇に信之霊屋があります。


墓所はそこから左へ少し行ったところ。塀に囲まれています。
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
特記事項: ハチ注意
松代藩主真田信之側室・玉川氏の墓碑が残ります。


藩主生母でもない側室のお墓がこんなふうに管理されているのはちょっと珍しい。


季節柄(5月)か山門付近にクマバチが何匹も滞空していたので、苦手な方は要注意。
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
松代藩初代藩主真田信之の二女見樹院の墓碑があります。


本堂左の境内墓地入ってすぐ右に折れて奥に向かって、突き当り手前でちょっと左に逸れたあたりです。
2基並んでいる宝篋印塔のうち向かって右(写真奥)が見樹院の墓碑で、左の方(写真手前)は親戚筋にあたる旗本本多百助(勝浦藩主植村家が改易となった刃傷事件に連座して真田家御預けになったそう)の墓碑とのこと。
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
松代藩3代藩主真田幸道夫人伊達氏の墓所。


山門入って正面に本堂を見て、左斜め前方向に夫人の霊廟ならびに墓塔があります。
所在: 長野市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
松代藩初代藩主真田信之の三男・信重の霊屋があります。


霊屋は本堂向かって左に進み、右手にある短い石段を上った先。案内板があるので迷わず行けます。


柵越しですが、色鮮やかな装飾部分まではっきり見えます。
所在: 上田市 (Google Map)
関連大名家: 松代藩主真田家
松代藩初代藩主真田信之夫人本多氏(小松姫)の墓所のひとつ。
上田領はのちに藤井松平家の封地となっていますが、江戸のはじめは真田信之が、次いで仙石家が治めていました。


小松姫の墓は本堂裏手です。本堂左から一般墓地に入ってしばらく真っすぐ行くと、右手に案内板があります。


なお同寺には出石仙石家の家祖仙石秀久と、上田藩主仙石政俊の霊廟も残ります。小松姫の墓域の奥、小路で通じています。
所在: 松本市 (Google Map)
関連大名家: 松本藩主戸田松平家
公開状況: 非公開
松本藩主戸田松平家の廟所。非公開ですが柵の外からなんとか墓塔を数えるくらいはできます。


門正面が丹波塚といって家祖康長のお墓。その左に4基五輪塔が建ちます。
再封後の6代藩主光行、7代光年、光年の子で8代光庸の世子光領と夫人蜂須賀氏。隣接する公園から光領夫妻の五輪塔が眺められます。
所在: 松本市 (Google Map)
関連大名家: 松本藩主戸田松平家
松本藩2代藩主戸田松平光雄の側室久田氏(4代光和生母)の墓碑があります。


本堂真正面の鐘楼脇あたり。
所在: 松本市 (Google Map)
関連大名家: 松本藩主戸田松平家
松本藩2代藩主戸田松平光雄の側室谷口氏(5代光悌生母)の墓碑があります。


墓碑の場所の説明がしづらいですが、本堂右手側から裏に回って墓地内を直進して、やや左に行ったあたりです。本堂とは相対しておらず、西向きに建っています。
所在: 松本市 (Google Map)
関連大名家: 小倉(豊津)藩主小笠原家
のちに小倉藩主となる小笠原家が松本を治めていた時期の墓塔が残ります。


家と家の間のちょっとした空き地みたいなところの向こうに石垣があり、入り口(石段)になっている部分の手前に看板が建っています。
石段を上った先に、戦国期の小笠原家三代(貞慶、秀政、忠脩)の五輪塔が並びます。もっとも、実際に埋葬されているのは忠脩のみとのこと。また五輪塔は、秀政・忠脩親子の死から時代を経て貞享年間に建てられたものだそう。
所在: 松本市 (Google Map)
関連大名家: 小倉(豊津)藩主小笠原家
こちらにも御殿山と同じく小笠原秀政・忠脩父子の墓所があります。こちらは秀政墓が本葬墓(改葬地)で、忠脩墓は供養墓。


総門が山のふもとにありますが、周辺はほぼ田畑。そこからそこそこの勾配+長さの石段を上り、山門くぐって正面が横長の本堂。本堂左から裏墓地にまわると、下の写真のような案内板がありますので右手の石段を上ります。


山の中へ分け入り、石段なんだか山道なんだかみたいな参道の先に、開山堂?があり、その左横に五輪塔が2基並んでいます。墓塔は大分経年を感じる風合いです。
所在: 飯田市 (Google Map)
関連大名家: 小倉(豊津)藩主小笠原家
のちに小倉藩主となる小笠原家の祖・小笠原秀政が飯田城主であった時に亡くなった、秀政夫人徳川氏の菩提寺。


秀政夫人墓碑は本堂左脇にあります。
所在: 諏訪市 (Google Map)
関連大名家: 米沢藩主上杉家
諏訪大社上社本宮すぐのところにあるお寺で、米沢藩主上杉綱憲の二男で吉良家の家督を継いだ吉良義周のお墓が残ります。


義周は元禄赤穂事件(忠臣蔵)で有名な吉良上野介義央の実孫であり、その縁により祖父の養子となった人物。浅野内匠頭による殿中刃傷事件後、義央の隠居により吉良家の家督を継ぎますが、間もなく赤穂浪士による吉良邸討ち入りが発生。事件後は改易処分を受けて諏訪藩主諏訪忠虎預かりとなって諏訪へ籠居、その3年後に病死し、法華寺に葬られました。

境内左端に墓へ通じる石段があります。


石段の先に宝篋印塔と自然石の墓塔が並びますが、自然石のほうが本墓のようです。
所在: 諏訪市 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家
徳川家康の六男・松平忠輝の墓所があります。
忠輝は長沢松平家の名跡を継ぐも家康没後に改易され、諏訪藩主諏訪頼水預かりとなって諏訪へ幽居。そのまま諏訪で没し、貞松院に葬られました。


本堂を正面に置いて右手に下の写真のような参道があり、これを道なりに行くと裏の墓地へ入れます。途中に忠輝墓への案内掲示もあります。


裏墓地に出て、墓地中央付近へ左手の建物沿いに向かうと見つけやすいです。
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