松本藩主戸田松平家の美濃加納藩主時代の菩提寺。初代藩主光重夫妻と2代藩主光永のほか、早世子女らの葬地です。

のどかな田園風景を横目に参道に入り、緩い坂を上って山門、境内へ入ると右手に本堂。そのまま本堂前を横切って、駐車場へ至る途中の右手に戸田松平家墓所へ通じる石段があります。

石段を上がった先は少し開けており、江戸時代の墓碑が建ち並びます。下の写真は正面ですが、この右手にも左手にも古い墓碑が林立しています。大半は家臣墓でしょうか。
ここから少し右奥に入ると歴代住職墓地、さらに山の中へ行くと北方領主戸田家代々の墓があるとのこと。

左右のエリアは奥行があって墓碑が何列にも連なっており、家臣墓と区別つけづらいですが、正面列を含めて藩主家の墓はおそらく15~20基ほど。
光重、光重夫人板倉氏、光永と、光重妹諷、光永の子女3名、光凞の子女5名は確実だと思いますが、あとそれっぽいエリアにあって被葬者が分からなかったのはほぼほぼ大姉墓なので、側室墓か、位の高い侍女・老女か、もしかしたら家臣に嫁いだ女子墓か、って感じでしょうか。

(初代藩主松平光重墓)
で、それなりに見て回ったかぎりでは、この塋域には加納藩主だった3名(光重、光永、光凞)に関連する墓碑しかありません。が、家譜によればその後光悌までの歴代も智勝院に埋葬されていることになっています。少なくとも光重らの墓域にはそれらしき墓碑は無かったと思うんですが、墓域自体別なのか?合祀されたとか?判然としません…。 |