花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 三重県
所在: 津市 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家、久居藩主藤堂家
津藩主藤堂家ならびに久居藩主藤堂家の墓所。


寒松院という寺院がもともとあったところ、戦災に遭い今は本堂の遺構と墓碑しか残っていないとのこと。


藩主墓はけっこう大きめです。それが大通りに面して塀も柵もなく並んでいて、ちょっと珍しい光景。
墓域としては津藩主家墓域と久居藩主家墓域は一応別になっていますが、1基だけ、津藩4代藩主高睦男長太郎の墓碑が久居藩主家側の墓域にあります。


津藩主家は初代高虎から10代高兌までの藩主と、高虎継室長氏、6代高治の子で7代高朗の世子高般、9代高嶷夫人中川氏、高嶷世子高崧と夫人溝口氏、そして前述の長太郎を合わせて17基。
久居藩主家は初代高通、6代高雅、8代高朶~11代高矗、13代高邁~16代高行の計10基。なお久居藩主のうち、4代高治・5代高朗・7代高嶷・12代高兌の4名は本家を継承、つまり津藩主となっていますので、津藩主家側の墓域に墓碑があります。
所在: 津市 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家
公開状況: 開門時間は公式HP参照。
聖徳太子ゆかりの由緒あるお寺ですが、津藩初代藩主藤堂高虎夫人一色氏の墓が残ります。


本堂左手から一般墓地に入り、奥の丘陵に少し上ったところにあります。


玉垣や土台もきちんとそなわっていますが、墓碑にあまり経年を感じないので、再建墓でしょうか。
近くには織田信長生母土田御前墓もありますが、そちらは年季の入った感じの墓塔でした。
所在: 津市 (Google Map)
関連大名家: 久居藩主藤堂家
久居藩主藤堂家の墓所があります。


山門入ってすぐ右手が藤堂家墓所。
津市の寒松院に墓碑のなかった2代高堅・3代高陳の2人の藩主墓のほか、高堅側室小林氏(高陳生母)、初代高通男岩之助、13代高邁男重八郎、15代高聴庶長子高茂ら計11基の墓塔があります。
所在: 伊賀市 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家
津藩主藤堂家の菩提寺。藤堂家墓所は山門入って右の一帯。


初代高虎から10代高兌までの藩主墓(すべて供養墓)と、高虎の父虎高とその継室の墓塔、高虎二男高重の供養墓が並んでいます。

(初代藩主藤堂高虎墓)
所在: 伊賀市 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家
津藩初代藩主藤堂高虎の継室長氏(2代高次生母)の墓碑があります。


本堂と閻魔堂の間から裏山(芭蕉の森公園)に入って、ちょっと上ったところに墓碑があります。


なお、この山林内に3代藩主高久の御廟があるはずなんですが行き方わからず。
所在: 名張市 (Google Map)
関連大名家: 津(安濃津)藩主藤堂家
公開状況: 名張藤堂家墓所は非公開
津藩主藤堂家一門、名張藤堂家の菩提寺。


本堂右横にある塀に囲われたエリアが名張藤堂家の墓所です。門には閂がかけられており、非公開。


隙間から内部が見えますが、左奥の方に家祖藤堂高吉墓があります。
高吉はもともとは丹羽長秀(二本松藩主丹羽家の祖)の三男で、色々あって高虎の養子になるも、高虎に実子が生まれたことで臣にくだり最終的に名張を領しました。
所在: 桑名市 (Google Map)
関連大名家: 忠勝系本多家
境内入り口に立派な石碑がある通り、本多平八郎忠勝の本廟があります。


本堂左奥方向に位置する墓地内、左端の奥の方です。
所在: 桑名市 (Google Map)
関連大名家: 桑名藩主久松松平家
桑名藩主久松松平家、いわゆる松平越中守家の菩提寺。越中守家は、伊勢桑名藩主→越後高田藩主→陸奥白河藩主→伊勢桑名藩主と、転封の結果2度桑名藩主になっています。


山門入って正面が本堂、本堂左奥の方に松平家墓所が塀に囲われてあります。


石垣上の横長の墓地内に墓碑がずらりと並びます。ちなみに石段を上がったところに配置図が記載された看板が設置されています。


伊予松山・伊勢桑名・伊予今治の各久松松平家の家祖にあたる定勝と夫人奥平氏、越中守家の桑名藩初代藩主定綱、伊予松山藩主定頼(桑名藩3代藩主定重の実父)、高田藩3代藩主定輝、高田藩4代藩主定儀、白河藩3代藩主定信、再封時の桑名藩初代藩主定永、2代定和、3代定猷夫人真田氏、ほか側室や早世子女の墓碑などがあります。

(白河藩3代藩主松平定信墓)
所在: 桑名市 (Google Map)
関連大名家: 桑名藩主久松松平家
松平越中守家の墓所が残ります。松平家墓所を含む墓地は、境内から少し離れた場所にあります。


上の写真の階段を上がって一般墓地に入り、すぐに右折して直進すると右手にゆるやかな下り坂道が現れるのでそこを下ります。下りの途中、左に一基立派な墓塔がありますが、これが伊予松山藩主松平定頼夫人京極氏(桑名藩3代藩主定重生母)の墓塔です。


ここから左方向へU字を描く感じに進むと、松平家墓所の入り口にたどり着きます。


正面に桑名藩2代藩主定良墓、それから左側のエリアに3代定重男定弘と同政七の墓がありますが、雑草がひどく近づけず。右側のエリアにも古い墓碑が残りますが、そちらは家臣墓のようです。
所在: 伊勢市 (Google Map)
関連大名家: 徳川将軍家
伊勢神宮外宮の西側の木立のなかに、徳川家康の側室・お梅の方のお墓があります。
このあたりはもともと梅香寺というお寺の境内地で、お寺は明治に入り北西に少し離れた場所に移転したとのこと。
場所がわかりにくいですが、所在地のmapの位置から南の方角に直進すると写真のような分岐に出ます。左に行くと霊水観音参道、右に行くと梅香寺旧跡碑。


梅香寺旧跡碑のある場所から右に伸びる道を辿っていくと、住職墓地に行き当たります。ここの左端の五輪塔がお梅の方の墓碑です。


梅香寺の開基にあたるので、住職墓地の一角に葬られたんでしょうか。墓銘がかなり薄れており、卒塔婆の戒名がなければわからなかったかも。
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