花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 広島県
所在: 三次市 (Google Map)
関連大名家: 三次藩主浅野家
特記事項: ハチ注意
三次藩主浅野家の菩提寺。
三次藩は江戸前期~中期に100年ほど存在した広島藩の支藩です。断絶した家ですが、元禄赤穂事件(忠臣蔵)で有名な浅野内匠頭の正室・瑤泉院(阿久里)の生家で、鳳源寺境内にも義士堂や瑤泉院遺髪塔など関連の史跡があります。


山門から入ると本堂が右手にあり、正面奥には石段が見えます。石段の先が義士堂で、義士堂に向かう途中で右折すると塀に囲まれた浅野家墓所があります。


墓所内には、2代長照・4代長経・5代長寔・初代長治夫人浅野氏らの合祀墓(写真右端)、神道碑(写真右奥の覆堂)、初代長治女兼の墓碑(写真中央やや左)、瑤泉院遺髪塔(写真左端)が並びます。
ちなみに2代長照・4代長経・5代長寔はもともと江戸の青松寺に葬られており、のちに三次に改葬された際合祀されたものと思われます。


またこの墓所から出てすぐ右斜め下に古い墓碑が並ぶ一角がありますが、その端のほうにおそらく初代長治男万吉の墓塔と思われる五輪塔が残ります。


3代長澄の墓所はここからそこそこ奥に行きます。浅野家墓所を出て左に木札で案内がありますので、それに従ってまっすぐ。寺境内と思っていたら途中から山道っぽくなります。


3代藩主浅野長澄墓。


初代長治の墓所は、鳳源寺からけっこう離れたところに入り口があります。このへん


そこまで勾配はきつくないもののかなり歩きます。途中から参道両脇に石灯籠が並んでなかなか幻想的な風景になりますが、石灯籠が並び出すのはわりと序盤です。


初代藩主浅野長治墓。藩祖の墓としてはかなり質素に思います。
所在: 三次市 (Google Map)
関連大名家: 三次藩主浅野家
三次藩主浅野家の婦女子の墓碑が残ります。もともとは初代藩主浅野長治が生母のために建立した寺院とのこと。


本堂左から裏に回ると正面に石段があり、いかにもこの先に何かありそうなのですが、足を踏み入れるのを躊躇するレベルで雑草満載なのでいったん断念。

そこから右手にちょっと進むと、左側の比熊山麓に向かって上に伸びる石段と、その先に笠付型の大きい墓塔があります。これが初代長治生母お岩(広島藩主浅野長晟側室)のお墓です。


上の写真のやや左寄りの奥の方に五輪塔が小さく写っているのがわかりますでしょうか。これが先述の上れない石段の行き先で、3代長澄女留無のお墓です。長治生母のお墓に向かう上りの石段の途中で左折すると、ちょっと道が怪しいですがたどり着くことができます。


また、長治生母のお墓から下へ降りる途中、左斜め下方向に大きめの位牌型の墓塔が見えます。こちらは3代藩主長澄の側室お弁(留無・4代長経・5代長寔らの生母)のお墓です。
所在: 福山市 (Google Map)
関連大名家: 福山藩主阿部家
幕末の福山藩主・阿部正方の墓所。 入り口がわかりにくいですが、ここらへんから奥に進んだところです。


小坂山の頂上にあり、しばらく道なりに上ると、開けた墓域に着きます。ちょっとガランとした広場の奥の方に立派なお墓があります。もともとは神社があったらしい。
阿部家の福山藩主で唯一国許に葬られた藩主です。
所在: 安芸高田市 (Google Map)
関連大名家: 長州(萩)藩主毛利家
江戸大名ではないですが… 毛利家家祖、毛利元就ならびに隆元夫妻らの墓所です。毛利と言えば長州イメージですが、元就の頃は墓所のある安芸高田が本拠地でした。


入り口からしばらく山道を行くと、綺麗に整えられた墓域に出ます。ここは元就の菩提寺・洞春寺跡とされています。


上の写真奥の石段手前の右手に、元就の兄・興元とその子・幸松丸、隆元夫人大内氏らの墓があります。
石段を上って右奥が元就の墓。写真だと分かりづらいですが、玉垣が二重になっており、細長い墓碑が建っています。


隆元墓は少し離れた場所にあります。最初の写真の鳥居の前はちょっとした駐車場になっていますが、その脇に陸元墓への裏参道があります。ちなみに表参道は、鳥居を背に舗装道路をまっすぐ行くと、途中左に下の写真のような標柱があります。


こちらも参道途中に鳥居があり、その先に二重の玉垣に囲まれた墓があります。
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