花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 福岡県
所在: 福岡市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
公開状況: 土日のみ公開 (詳細は福岡市のHP参照)
福岡藩主黒田家の菩提寺。
崇福寺側から黒田家墓所に通じる入り口は閉鎖されており、境内の外に出て敷地の裏に回らないといけません。結構離れます。


こちらには初代藩主長政の墓碑と、4代綱政・5代宣政・6代継高・7代治之・9代斉隆・10代斉清の合祀塔、藩主夫人9人の合祀塔、東蓮寺(直方)藩主高政・之勝・長清の合祀塔、綱政世子吉之・継高世子重政夫妻・ほか26人の藩主子女の合祀塔、初代長政の父黒田如水の墓、その夫人櫛橋氏の墓があります。


半分合祀塔なあたり明治以降のどこかのタイミングで改葬合祀されたものと思われますが、藩主合祀で各々の法諡を墓碑にならべて刻むのは珍しい (墓碑の幅があるので可能だったというだけかもしれませんが)。

(初代藩主黒田長政墓)


(福岡藩主合祀塔)


(東蓮寺藩主合祀塔)
所在: 福岡市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
福岡藩主黒田家の菩提寺のひとつで、ここには3人の福岡藩主のお墓があります。


本堂左側に、それぞれ独立して2代忠之、3代光之、8代治高のお墓があります。

(2代藩主黒田忠之墓)


(3代藩主黒田光之墓)


(8代藩主黒田治高墓)

ちなみに2代忠之墓と3代光之墓のあいだに大きめの五輪塔がもう1基ありますが、これはおそらく忠之・光之時代の家老黒田三左衛門一任のお墓ではないかと思います。
所在: 福岡市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
福岡藩3代藩主黒田光之の子女の墓碑が残ります。本堂は拝観不可のようですが墓地には入れました。


光之の三男左兵衛の墓碑が、墓地入って正面奥にあります。ほか、墓地内には江戸期の家老の大きい墓が点在しています。
所在: 福岡市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
公開状況: 黒田家墓所は非公開
福岡藩主黒田家一族の墓がありますが非公開。


山門入って右手が駐車場ですが、そこに黒田家ゆかりを示す案内標識があります。
これによると初代長政継室保科氏と次女徳、3代光之の嫡男綱之・七男正太郎・側室吉良、6代継高側室逸姫、11代長溥四女種の墓碑があるとのこと。
所在: 福岡市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
福岡藩初代藩主黒田長政生母櫛橋氏の供養碑と、6代藩主黒田継高女厚の墓碑があります。


櫛橋氏の供養碑は本堂向かって右手前に、本堂に向き合う方向で建っています。


厚の墓碑は本堂左脇の五輪塔。墓銘がだいぶ薄くなっていますが、ひときわ大きいので目立ちます。


家譜によると他にも数名の早世子女の葬地であるはずですが、墓碑発見できず。
所在: 福岡市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
福岡藩4代藩主黒田綱政の側室吉田氏の墓碑があります。

山門入ってすぐ左に、植栽に埋もれるようにしてある五輪塔がそうです。
所在: 朝倉市 (Google Map)
関連大名家: 秋月藩主黒田家
秋月藩主黒田家菩提寺。


お寺の入り口がちょっと分かりづらいですが、左右に民家の立つ細い参道を抜け、少し長めの石段を上った先です。
本堂向かって左に、塀に囲まれた黒田家墓所があります。


墓所内は2列に墓碑が並ぶ形。各墓碑に案内標識があります。


初代藩主長興の父である福岡藩主黒田長政の供養碑と、初代長興から12代長徳までの歴代藩主と夫人、それから9代長韶嫡男長惺の墓碑など、計24基あります。

(4代藩主黒田長貞墓)
所在: 朝倉市 (Google Map)
関連大名家: 福岡(筑前)藩主黒田家
福岡藩初代藩主黒田長政継室保科氏の墓碑があります。秋月藩初代藩主黒田長興の生母に当たるため、供養碑もしくは分骨墓と思われます。


本堂左から、細いながらも風情のある道を通って裏山にまわります。しばらく道なりに行くと奥の方に白い塀が見えるのでそこを目指します。
大きい自然石の墓碑。墓域を囲う石垣の手前にも古そうな墓石が並んでいますが、家臣墓でしょうか。
所在: 直方市 (Google Map)
関連大名家: 東蓮寺(直方)藩主黒田家
東蓮寺藩主黒田家の墓所。墓碑は4基ありますが藩主墓2基は遺髪墓、藩主夫人墓2基は供養塔とされます。


本堂左手より裏にまわると右手に2基の五輪塔が見えます。これが4代藩主長清の正室小笠原氏と継室小笠原氏の墓碑です。


その奥にちょっとした石段があり、上って右手が2代之勝の遺髪墓、左奥が初代高政と殉死家臣の遺髪墓です。
初代高政と殉死家臣の墓碑は自然石。
所在: 北九州市 (Google Map)
関連大名家: 一関藩主伊達家
伊達騒動で改易された一関藩主伊達兵部宗勝の嫡男、伊達宗興の墓碑があります。
宗興は父の改易に連座して小倉藩主小笠原忠雄預かりとなり、そのまま小倉で亡くなって安国寺に葬られたそう。


宗興の墓碑は山門入ってすぐ目の前に並ぶ墓碑・石碑のうちの一基です。


境内に幼稚園があり、園庭が本堂に隣接しているので、もしかしたら平日は部外者は入れないかもしれません。
所在: 北九州市 (Google Map)
関連大名家: 小倉(豊津)藩主小笠原家
公開状況: 小笠原家墓所は非公開
小倉藩主小笠原家の菩提寺。ただし小笠原家墓所は非公開です。


寺境内から少し離れたところに、初代藩主小笠原忠真とその側室那須氏(2代忠雄生母)の墓所がありますが、門は閉ざされており、なんとなく内部が見える程度。


忠真墓所とは道路挟んで寺境内側に鉄門がありますが、そこにも鍵がかかっています。その先には2代忠雄、8代忠嘉、9代忠幹の藩主墓と、一族の墓があるようです。
なおそちらの墓域は奥にある足立キャンプ場に接しており、足立青少年の家付近から垣間見ることが出来ます。
所在: 北九州市 (Google Map)
関連大名家: 小倉新田(千束)藩主小笠原家
特記事項: ハチ注意
小倉新田藩初代藩主小笠原真方の墓所。

北九州の開善寺はかなり急勾配の坂を上った先にありますが、墓地は境内にはなく、さらに坂を上ります。春に訪れたんですが、途中途中、道の真ん中にクマバチが滞空する箇所が。墓地にもいたので苦手な方は注意。


丘の上の木々を切り開いたような形の墓地の、正面向かって右端真ん中くらいの位置に大きい笠付型の墓碑があります。これが真方の墓塔。
なお2代貞通、3代貞顕もこの開善寺に葬られたはずですが、墓碑見つけきれず。
所在: 豊前市 (Google Map)
関連大名家: 小倉新田(千束)藩主小笠原家
寺院に付属しない一般墓地のようですが、端のほうに小倉新田藩主小笠原家の墓所があります。


墓地に入った向きでいうと左奥の道路寄りのあたりです。一番奥に大きい柵付きの立派な墓碑があり、手前に明治以降に没した一族墓が建ちます。
写真中央の角型の墓塔は、5代藩主貞哲の娘で、一時的に旧千束藩主小笠原家の女戸主となった愛子(のち子爵小笠原寿長夫人)のもの。


柵付きの墓塔は、江戸の菩提寺である海禅寺にあった墓碑を改葬合祀したもの。墓塔裏の墓銘によれば、海禅寺の墓所が関東大震災により壊滅したため移転改葬したもので、合祀の対象には小倉藩主を継いだ7代貞嘉を除く4代貞温から8代貞寧までの藩主を含むようです。
所在: 築上郡 (Google Map)
関連大名家: 安志藩主小笠原家
のちに安志藩主家となる小笠原家が中津藩主だった時代の墓があります。
天仲寺公園は道路挟んで2エリアにわかれますが、観音堂があるほうの階段をのぼっていくと案内板が出ています。公園ですがちょっと小高い丘って感じです。

初代藩主小笠原長次の墓はひとつだけ生垣付き。


長次墓の右奥に3基の墓が並びますが、左(写真手前)の墓塔の被葬者がわからず。真ん中が4代藩主長円、右(ほぼ見えてないけど写真奥)は2代藩主長勝男長美の墓碑です。


墓域のど真ん中に水道施設とやらがあって、特に奥の3基のお墓が日影にひっそりある感じになってしまい、ちょっと残念な状態です。
所在: 久留米市 (Google Map)
関連大名家: 久留米藩主有馬家
久留米藩主有馬家の菩提寺。墓所は国指定史跡。
山門入ってすぐに境内の案内掲示板があるので、それに従って本堂左から裏手の墓地に向かいます。


まず目に入るのが梅林院霊屋。藩祖有馬則頼夫妻とその娘(横須賀城主渡瀬重詮妻)の霊屋です。


その右手にあるのが春林院霊屋。初代藩主豊氏夫妻と2代藩主忠頼、5代藩主頼旨の霊屋です。この2つの霊屋のまわりに27基の一族墓が立ち並びます。


霊屋のあるエリアから石段を上ると、位牌廟3つと、5代頼旨をのぞく3代頼利から10代頼永までの藩主7名の墓碑、10代頼永夫人島津氏の遺髪塔、松崎藩主有馬豊範(豊祐)の墓碑がある墓域に出ます。こっちの墓域は一般墓地と接しており、とくに豊範(豊祐)の墓碑は一般墓地に紛れ込んでいるような感じです。
所在: 久留米市 (Google Map)
関連大名家: 柳河(柳川)藩主立花家
柳河藩初代藩主立花宗茂夫人誾千代の墓碑が残ります。


本堂手前の上人墓地の一角にあります。写真左端に見える木戸が墓地入り口、左の墓塔が誾千代墓碑、右の墓塔は柳川城主田中吉政の供養塔です。


この誾千代の墓碑は2016年に発見されたそうで、知名度はまだあまり高くありませんが、後ろの案内板によれば遺骨をおさめた墓所とのこと。


なお墓地の奥には誾千代の母・仁志姫(写真右)の墓碑や、久留米城主田中吉信(吉政二男、写真左)の墓碑もあります。
所在: 柳川市 (Google Map)
関連大名家: 柳河(柳川)藩主立花家
柳河藩主立花家の菩提寺。藩主墓は覆屋越しに拝観できます。


本堂左から裏に回ると、立派な門つきの塀に囲まれた塋域があります。 門の正面と左右に1つずつ、計3つの覆屋があり、それぞれに複数の藩主墓がおさめられています。


左の覆屋には10代(2人目)鑑備、鑑通世子鑑一、鑑通世子鑑門、6代貞則。正面の覆屋には5代貞俶、2代忠茂、初代宗茂、宗茂養父立花道雪(鑑連)。右の覆屋には7代鑑通、8代鑑寿、9代鑑賢、10代(1人目)鑑広。
覆屋は私が行った時は初代宗茂墓のところだけ扉が開いていました。
所在: 柳川市 (Google Map)
関連大名家: 柳河(柳川)藩主立花家
公開状況: 立花家墓所は非公開
柳河藩初代藩主立花宗茂夫人誾千代の菩提寺として知られますが、ほかにも立花家の墓が何基かあるようです。残念ながら非公開。
所在: 柳川市 (Google Map)
関連大名家: 柳河(柳川)藩主立花家
公開状況: 拝観不可
柳河藩初代藩主立花宗茂継室矢嶋氏ら、立花一族の墓があります。が、こちらも非公開。幼稚園併設で休日でも園児がおり、部外者はお寺の敷地内にすら入れない感じです。
本堂裏手の敷地が公道に面していますが、そちら側にそれっぽい区画が見えます。
所在: みやま市 (Google Map)
関連大名家: 柳河(柳川)藩主立花家
特記事項: サル、イノシシ注意
柳河藩3代藩主立花鑑虎と4代藩主立花鑑任の墓所。
もともと立花家の別荘があったところということで、だいぶ街から外れた場所になります。


入り口近くに案内標識が出ていますが、その裏に隠れるように猿と猪の注意案内が…。そんな覚悟してこなかったのでちょっとびびりつつ木立の中の坂を上っていくと、舗装道路が途切れた先に参道が見えます。


参道の先に石垣に囲われた一角があり、鑑虎(写真右)と鑑任(写真左)の墓碑が並びます。墓石の形は福厳寺のものと同じ。
所在: 大牟田市 (Google Map)
関連大名家: 柳河(柳川)藩主立花家
柳河藩2代藩主立花忠茂継室伊達氏の墓所。


山門前の道路を奥(南方向)に向かって道なりに登っていった先に「仙台奥様墓所」との案内標識が出ています。
墓所の霊水をイボにつけると治るという言い伝えがあるそうで、墓石前に蛇口があります。
なお写真右手前にある墓碑は忠茂五男茂辰(宗満)の墓碑です。
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