花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 佐賀県
所在: 佐賀市 (Google Map)
関連大名家: 佐賀(肥前)藩主鍋島家
公開状況: 要拝観料。拝観時間、拝観料は公式HP参照。
佐賀藩主鍋島家の菩提寺。
総門を入って正面の受付で拝観受付をして、左手の山門から入ると正面が本堂。
本堂左から裏墓地にまわります。塋域は堀で囲われており、小さい橋を渡ります。


まずは藩主墓所。塋域の中心部分は主に龍造寺家の墓碑で、そのまわりを囲うように鍋島家の藩主夫妻墓が並びます。
鍋島家の墓塔としては、藩祖直茂墓、初代勝茂から9代斉直までの藩主夫妻墓 (初代勝茂・2代光茂・7代重茂・8代治茂は夫人2人、4代吉茂は夫人の墓はなし)、初代勝茂世子忠直墓、10代直正夫人徳川家斉女墓の計24基。

(藩祖鍋島直茂墓)

藩主墓所を出ると左側に御子様墓所があり、こちらには歴代藩主の早世子女墓43基と、忠直夫人松平氏墓(2代光茂生母)、藩祖直茂の父祖の墓が集められています。
所在: 佐賀市 (Google Map)
関連大名家: 佐賀(肥前)藩主鍋島家
旧佐賀藩主鍋島侯爵家の墓所。
もともと東京の青山霊園にありましたが、2015年こちらに移転したもの。


10代藩主鍋島直正(閑叟)の遺愛の地だったそうで、佐賀の市街地から外れた山中にあります。とはいえそこまで登りません。
10代直正と夫人2人、11代直大と夫人2人、侯爵直映夫妻、侯爵直泰夫妻らの墓碑が並びます。


低山の中、麓より少し上、くらいに位置する墓所は全国あちこちでよくあるパターンですが、ここの墓所は破格の綺麗さです。

(10代藩主鍋島直正と夫人の兆域)
所在: 佐賀市 (Google Map)
関連大名家: 佐賀(肥前)藩主鍋島家
佐賀藩主鍋島家の早世子女の墓碑が集められています。
住宅地に脈絡なく観音堂が建っていますが、もともと「善応庵」という鍋島家子女の菩提寺があったところ。いまはこの観音堂と墓所しか残っていないようです。


墓域は手前と奥の2箇所に分かれています。特に奥の方の墓域は、玉垣付きの五輪塔がひしめいており、なかなか壮観。
6代宗教・7代重茂・9代斉直の藩主供養碑のほか、50基近い数の子女墓、奥の方にはおそらく侍女らの墓もあります。
所在: 佐賀市 (Google Map)
関連大名家: 佐賀(肥前)藩主鍋島家、小城藩主鍋島家
佐賀藩主鍋島家の一族、白石鍋島家の菩提寺。
家祖直弘(佐賀藩初代藩主鍋島勝茂八男)はじめ、本家や小城藩主鍋島家から白石鍋島家に入った子女が何人か葬られています。


本堂左手に一般墓地が広がりますが、その奥(本堂向かって左奥)突き当りに広々とした塋域があります。


佐賀藩主家の出身では初代藩主勝茂男直弘、2代藩主光茂女美濃(3代当主直愈妻)、8代藩主治茂女燮(6代当主直章妻)の3名、
小城藩主家の出身では5代藩主直英男直昭(4代当主直祐養子)、6代藩主直員女加(5代当主直賢妻)の2名の墓碑があります。

(白石鍋島家祖鍋島直弘墓)
所在: 佐賀市 (Google Map)
関連大名家: 佐賀(肥前)藩主鍋島家
佐賀鍋島家の一族、川久保(神代)鍋島家の墓所があります。ただし松陰寺自体は、いまでは草庵が残るのみ。墓所は草庵からは少し離れた場所にあります。


佐賀藩4代藩主鍋島吉茂は藩主就任前に川久保(神代)鍋島家の当主だった時期があり、その時期に没した夫人や子女たちはここに葬られています。
墓所はいくつかのエリアに分かれており、吉茂の妻子のほかにも、佐賀藩主家から養子に入った直長(初代勝茂男)・直方(2代光茂男)・賢在(9代斉直男)と、5代邑主神代常利に嫁いだ伊勢菊(初代勝茂女)らの葬地でもあります。


佐賀藩主家出身者の墓碑は玉垣があり立派。
ただ吉茂夫人神代氏の墓は、夫人が吉茂の藩主就任前に亡くなっているため、当然ながら大藩の藩主正室の墓という感じではないです。
所在: 佐賀市 (Google Map)
関連大名家: 蓮池藩主鍋島家
蓮池藩主鍋島家菩提寺。田園のど真ん中にあります。


鍋島家の塋域は2か所あり、藩主墓所は本堂の裏手にあります。
初代直澄から8代直与までの藩主夫妻と (5代直興は夫人娶らず、8代直与は夫人2人)、9代直紀の最初の正室鍋島氏、2代直之世子直富、4代直恒女千屋の墓碑が集められています。
なお、初代直澄夫妻の墓所にはもともと御霊屋があったそうですが、老朽化により解体されてしまっています。


もう一か所は早世子女らの墓域で、本堂に至る参道左手の墓地の中ほどです。
周辺ほとんど江戸期のお墓で見分けがつきづらいですが、藩主家墓所だけ低めの玉垣で囲われています。
所在: 小城市 (Google Map)
関連大名家: 小城藩主鍋島家
小城藩主鍋島家の国許の菩提寺のひとつ。


お寺の場所がちょっと分かりづらいですが、上の写真のところから入って右奥方向に進んで、途中左にある石橋と梅園の先に本堂があります。


藩主家墓所は本堂右手。本堂手前で右に曲がって一般墓地を進み、案内標識に従って左方向に曲がって少し上ると、開けた土地に立派な門付きの墓所が見えます。写真左の階段向こうの門の奥にあるのが3代藩主元武墓、右の区画には6代藩主直員夫妻と9代藩主直堯夫妻の墓碑があります。


3代元武は玉毫寺の開山に当たり、墓塔には「開山金栗明老和尚塔」と藩主墓らしからぬ墓銘が刻まれています。


6代直員墓は右の区画では唯一覆屋があり、中には背の低い五輪塔が建ちます。
所在: 小城市 (Google Map)
関連大名家: 小城藩主鍋島家
小城藩主鍋島家の国許の菩提寺のひとつ。
無住のお寺で本堂などもすでにありませんが、楼門と五百羅漢の2つの文化財が観光資源となっており、それほど荒れてはいません。


楼門を抜け、本堂があったであろう原っぱを抜け、遺構と五百羅漢の居並ぶエリアに入り、左奥方向に塀に囲われた鍋島家墓所があります。


墓所内には、玉毫寺に墓のある3名をのぞく初代元茂から11代直虎までの歴代藩主、藩主夫人、子女ら計38名の墓碑と、初代元茂に殉死した家臣らのお墓がずらりと並んでいます。


墓所内でもひときわ目立つ紅色の御霊屋は4代元延のものです。
所在: 鹿島市 (Google Map)
関連大名家: 鹿島藩主鍋島家
鹿島藩主鍋島家の墓所1。立派な山門をくぐって左側に墓地が広がります。


一般墓地と思われる区画にも古い墓碑がいくつも目につきますが、鍋島家の墓所は石垣の上にあります。


墓碑は大分風化してきており、戒名を読み取りにくいものも多いですが、2代正茂と7代直凞(のち佐賀藩主を継いで治茂と改名)の2人をのぞくすべての藩主夫妻の墓碑があります。それと3代直朝の両親(佐賀藩主鍋島勝茂と夫人岡部氏)の供養碑、直朝男朝清、5代直堅生母中野氏(4代直條側室、史料によっては継室)、10代直永生母石井氏(佐賀藩主鍋島斉直側室)、歴代の早世子女らの墓碑が並びます。

鹿島市の公式観光サイトによると、初代忠茂のみ遺骨が埋葬されており、忠茂以外の藩主墓は遺髪墓とのこと。ただし忠茂も寛政重修諸家譜では葬地は千葉の圓通寺とされているので、ここは分骨墓ということでしょうか。

(初代藩主鍋島忠茂と継室の墓所)
所在: 鹿島市 (Google Map)
関連大名家: 鹿島藩主鍋島家
鹿島藩主鍋島家の墓所2。山門は立派ですが無住のお寺で、本堂も残ってはいますが寂れてる感満載です。一応すぐ隣の法泉寺が兼帯という扱いのようです。


鍋島家墓所は、概ね4箇所に分かれています。
・本堂すぐ裏手の子爵鍋島直紹夫妻の墓
・本堂裏山の墓所:第一エリア (3代藩主直朝夫妻墓)
・本堂裏山の墓所:第二エリア (本家を継いだ7代直凞(治茂)をのぞく4代直條から13代直彬までの藩主夫妻ならびに子爵直縄夫妻墓)
・本堂裏山の墓所:第三エリア (側室、子女ら墓)
なお鍋島家墓所へのルートは案内標識的には本堂左から回るルートが本来のようですが、私が行った時は倒木で進めなかったため、本堂右手から行きました。

子爵鍋島直紹夫妻の墓。ここだけは裏山に分け入らずに済むので、管理が行き届いているのか綺麗です。


江戸期の藩主墓は本堂裏の丘陵の上にありますが、そこに至る参道は倒木や落枝でだいぶ荒れ気味。私の行ったタイミングの問題かもしれませんが…。


幸い墓域は参道ほど荒れてはいませんでした。下の写真は4~13代の藩主夫妻と直縄夫妻の墓域で、ここの左端から3代直朝夫妻墓域へ、右端から側室・子女ら墓域へ行けます。



(5代藩主鍋島直堅墓)
所在: 鹿島市 (Google Map)
関連大名家: 鹿島藩主鍋島家
祐徳稲荷神社は日本三大稲荷のひとつに数えられることもある有名な神社ですが、開基が鹿島藩3代藩主鍋島直朝の継室花山院氏であり、彼女を祀る摂社が境内にあります。


奥の院に行く途中にある石壁社がそれに当たります。実際埋葬されているのかどうかはちょっと分かりませんでしたが…。
所在: 唐津市 (Google Map)
関連大名家: 唐津藩主小笠原家
寺名から連想できる通り、近松門左衛門ゆかりの寺院ですが、境内に唐津藩主小笠原家の墓所があります。


本堂向かって左奥のこぢんまりとした区画に、江戸期の著名人の墓碑が集まっています。
近松門左衛門墓が真ん中にあって目立ちますが、その左手に唐津藩4代藩主小笠原長和の墓塔が建っています。小笠原家の唐津藩主のうち、唯一本葬墓が国許にある藩主です。


その隣に、明治から昭和にかけて旧唐津藩主小笠原子爵家の当主であった小笠原長生の分骨墓があります。


そこから少し奥に入ると江戸初期の唐津藩主・寺沢堅高の墓碑もあります。ちなみに堅高墓と小笠原長生墓の間にある「瑞泉院殿」と刻まれた五輪塔が寺沢広高夫人墓、つまり堅高母の墓らしい。


また、これらの墓碑の逆側、建物の壁に沿うようにして小笠原一族墓が並びます。
写真左端が初代藩主長昌の末弟で唐津藩執政・小笠原修理長光の墓碑。右端が2代藩主長泰の子で新選組隊士の小笠原胖之助(三好胖)の墓碑。左から2番目はおそらく長光の姉・徳(棚倉藩主小笠原長堯女)の墓だろうと思います。真ん中とその右は合祀墓です。
所在: 唐津市 (Google Map)
関連大名家: 古河藩主土井家
のちに古河藩主となる土井宗家が、唐津藩主を務めていた時代の墓所。藩主墓は3代藩主利延のもののみですが、途中に重臣一族墓もあります。


入り口から半周分くらい坂を上って、右手に重臣堀家の墓碑や家老土井家(多分)の墓碑などが並ぶ参道を通り過ぎて、利延墓所の入り口到着。(ちなみに坂の途中で右折すると明治の炭鉱王・高取伊好家の立派な墓所にたどり着きます。)
写真真ん中より少し右の竹林に囲われたちょっと荒れた空間が参道です。写真ではわかりづらいですが石段になっており、そこそこ上ります。


利延は唐津で亡くなっており、ここが本葬地です。
所在: 唐津市 (Google Map)
関連大名家: 小田原藩主大久保家
唐津は藩主家がころころ変わっていますが、藩主の本葬墓があるのは寺沢家・小笠原家・土井家のみ。ほか、本葬墓ではありませんが供養碑として、寺沢家の次に唐津藩主となった大久保忠職の碑が残っています。


小高い丘のてっぺんの広場の真ん中に、かなり大きい忠職の供養碑があります。ちょっと珍しい形。


また、参道に入って割とすぐに、右手に大きい墓碑が並ぶ一角があります。こちらも大久保家関連で、写真右端から忠職男宇津季之、同七郎右衛門忠倫、忠常女(忠職の姉妹で館山藩主里見忠義室)の墓碑だと思います。奥の2つは被葬者わからず、また写真には写っていませんが他に小さい墓碑が2つありますがそちらは墓銘読み取れず。
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