花筐館<竜胆の間>

江戸大名家掃苔録 - 長崎県
所在: 対馬市 (Google Map)
関連大名家: 対馬府中(厳原)藩主宗家
公開状況: 要拝観料。拝観時間、拝観料は対馬観光物産協会のサイト参照。
対馬藩主宗家の菩提寺で、宗家墓所は国指定史跡。


山門左から境内に入って受付をし、本堂前を横切って墓所参道へ出ます。
写真の石段を上り切った先にあるのが上の御霊屋、階段の途中で右手にあるのが中の御霊屋、下の御霊屋。江戸・明治期の墓碑は上中下合わせて約40基ほどあります。


上の御霊屋には、11代の2人(猪三郎と富寿)を含む初代義智から15代義達(重正)までの16人の全藩主と、昭和期の宗伯爵家当主宗武志氏、2代義成夫人日野氏、3代義真夫人京極氏、11代(2人目)義功夫人大炊御門氏、3人の早世子女の墓塔が並びます。


中、下の御霊屋は戦国時代の当主貞国の墓と、3代義真側室三浦氏(4代義倫と5代義方の生母)、6代義誠夫人樋口氏、9代義蕃夫人古川氏、ほか江戸時代の早世子女らの墓が並びます。
所在: 平戸市 (Google Map)
関連大名家: 平戸藩主松浦家、平戸新田藩主松浦家
平戸藩主松浦家の菩提寺。また平戸新田藩主家の墓所もあります。


雄香寺自体だいぶ標高高めな場所にあり、寺号標にたどり着くまでに結構な坂を上りますが、さらに山門から本堂までも長い石段を上ります。
その石段手前、山門入ってすぐのところに右手に続く敷石がありますが、そこを行くと朱塗りの開山堂(通称赤堂)にたどり着きます。
開山堂内には開山盤珪禅師・二世妙光禅師・開基雄香公(平戸藩5代藩主松浦棟)とその弟・平戸藩6代藩主松浦篤信の墓碑があります。


松浦家墓所は開山堂の裏手に少し進んだ塀に囲われたところ。開山堂の左横を突っ切って行けますが、本堂のほうからも本堂向かって右の一般墓地の前を横切る形で行けます。
4代鎮信・5代棟夫人松平氏・7代有信・8代誠信・誠信の世子2人(邦と政信)・9代清夫妻・10代熈生母鎌奥氏・11代曜とその夫人3人・12代詮夫人浩子ら計24基の墓碑が並びます。


また、平戸藩主家墓所の裏手(塀の向こう)に、藩主家関連と思しき墓域がもうひとつあります。
こちらの墓域は3つに分かれており、一番下段は禅尼1人・大姉3人・居士1人の墓碑が並びますが被葬者特定できず。誠信側室於榮と刻まれた献灯があったので、平戸藩主家関連でしょうか。


そこから一段上がったところが平戸新田藩主家の墓域。初代昌・3代鄰・4代致・5代宝・6代矩・7代良・(多分)8代皓の藩主墓が並んでいます。2代邑の墓だけ見つけきれませんでしたが、墓碑の並び方からして全然違う場所にあるとも思えず、ここにはないのかもしれません。そもそも菩提寺は東京麻布の光林寺のはずなのですが、これらは供養塔なのか移転改葬されたのか。そこからもう一段上がると9代脩夫妻の墓碑と、分家した豊の墓碑(多分)があります。
所在: 平戸市 (Google Map)
関連大名家: 平戸藩主松浦家
平戸藩初代藩主松浦鎮信夫妻と、鎮信の父・隆信の墓所。


本堂裏にまわり、奥の院へ向かう石段の手前で右に折れると鎮信夫妻の墓所があります。看板によると、鎮信墓の左右2基ずつの小さな墓碑が殉死の家臣、鎮信墓の左後ろの宝篋印塔が恵仙夫人、一番左奥の自然石が鎮信の子の墓碑のようです。


隆信墓は奥の院の向こうです。奥の院の三重塔の左側に舗装された坂道があるので、それを上って奥の院裏の公道に出ると、正面に畑があります。その奥、木立になっていますがその中に墓碑が林立しています。左右にいかにも古そうな墓碑が並ぶ小路をしばらく真っすぐ進むと (かなり奥です)、右手が開けます。そこが隆信墓。このポイントから最教寺境内とは逆方向の小路に入って真っすぐです。
所在: 平戸市 (Google Map)
関連大名家: 平戸藩主松浦家
宗陽公墓所。宗陽公とは平戸藩3代藩主松浦隆信を指します。


ザビエル記念教会の裏手の道をまっすぐ行って境内に入ると、右手に本堂、正面に松浦家墓所があります。
墓所入り口正面に3代隆信墓が聳えています。全国まわって色々見てきてますが、その中でも印象に残る程度に大きい墓碑です。


ここの墓所には20基ほどの墓碑がありますが、被葬者がはっきり分かるのは3代隆信とその横の2代久信夫人大村氏(隆信生母)、5代棟世子の長だけ。この3名は東京練馬の広徳寺からの改葬のようです。
隆信の墓碑の左右は家臣墓らしいので、それをのぞいて大姉や居士の位号がある墓碑が他に4基あります。うち1基はもしかしたら10代藩主熈の三男で、伯爵詮の父にあたる権之助秋のものかも。

なお、墓域参道に入る手前(一番目の写真の位置)の左側にこれまた古めかしい墓碑が立ち並ぶ一角がありますが、そちらは平戸藩の家老である熊澤家・瀧川家の塋域です。9代藩主清の子で瀧川家に養子に入った貞固の墓などがあります。
所在: 平戸市 (Google Map)
関連大名家: 平戸藩主松浦家
平戸藩10代藩主松浦熈夫妻の墓所。平戸市ですが他の3箇所からはかなり離れる紐差エリアです。


山門から石段を上って正面に本堂、本堂左に景粛堂、そこから左に墓所参道が伸びており、こぢんまりとした墓域がすぐに見えます。


墓域内には計3基の墓碑(寿塔)があります。正面の2基が熈夫妻、向かって左「貞操院」と刻まれた墓碑は熈の娘の於秀(操子)のもののようです。
所在: 大村市 (Google Map)
関連大名家: 大村藩主大村家
大村藩主大村家の菩提寺。大村家の墓所と筆頭家老松浦家の墓所を含めた塋域が国指定史跡となっています。


墓所は本堂左。親切にも入り口に配置図が掲示されています。大村家だけで70基を超す数の墓碑が所狭しと並ぶ様はなかなか壮観。


初代喜前から11代純顕までの藩主墓と、正室・側室・子女ら一族の墓、それから明治期に分家した大村男爵家(武純家)の墓があります。他にも江戸時代以前の大村家当主・純伊と徳純の墓や、奥の方には喜前生母と喜前弟純直の墓なども。

(初代藩主大村喜前と5代藩主大村純伊の墓廟)
所在: 島原市 (Google Map)
関連大名家: 島原藩主深溝松平家
島原藩主深溝松平家の国許の菩提寺。
愛知県の幸田町にも同じ「本光寺」という名前の深溝松平家の菩提寺がありますが、そっちが大元の菩提寺で、藩主墓はすべて愛知の方にあります。島原の本光寺には島原初封時の2代藩主松平忠雄の墓がありますが、これは分骨墓か供養墓か…。墓域は何か所に別れており、合わせて34基の墓碑を確認しました。


本堂左から裏山墓地に登ります。
一ノ廟所はわかりやすい案内板が出ています。初代藩主忠房生母、2代藩主忠雄、忠雄側室平井氏(又八郎と豊次郎忠英の生母)、再封後の5代藩主忠精夫人伊達氏、歴代藩主の夭折子女ら23名の墓碑が並びます。


二ノ廟所は一ノ廟所に至る石段の手前で右に曲がり、十六羅漢の手前で右に折れたところ。初封時の4代藩主忠刻の末男・忠睦関係者(生母・側室・子女ら)8名の墓碑があります。


三ノ廟所は十六羅漢の前の道から右下に見えるので、それっぽい道を探してたどりつきました。初代藩主忠房世子忠倫、再封後の初代藩主忠恕側室某氏(五百生母)、忠恕女五百の3名の墓所。


ほか、少し離れたところに四ノ廟所があり、忠房男国千代と忠雄女の墓碑があるそうですが時間切れでたどりつけず。
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